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2004/01/09

<随筆>◇"テジョン・ブルース"の情緒◇ 産経新聞 黒田勝弘 ソウル支局長

 ぼくは1971年8月に初めて韓国を訪れた。すでに新聞記者になっていたが、まだ30歳と若かった。当時はまだ海外旅行は一般的ではなく、ぼくにとっては初めての海外旅行だった。ちなみに日本で海外旅行が自由になったのは、東京オリンピックが開かれた1964年前後ではなかったか。だから学生時代に海外旅行を経験するような世代ではなかった。

 韓国旅行にはそれなりの目的があった。そのひとつは一緒に出かけた年上の友人が昔、ソウル(京城)にいたことがあり、その住んでいたところを再訪してみたいということがあった。ぼくはハングルに興味があって、少しかじりかけていたのでぜひ現場体験をしてみたいという気持ちがあった。

 その時の一週間の旅行の詳細は省くが、ソウルに到着して初日は「バンド(半島)ホテル」に泊まった。現在のロッテホテルの場所にあり、当時では数少ないホテルの一つだった。なぜそのホテルになったかというと、当時ぼくが勤めていた共同通信ソウル支局がそのホテルにあり、しかも仕事で提携関係にあった韓国の合同通信が真向かいにあったからだ。もうひとつちなみに、合同通信の建物は日本統治時代の同盟通信京城支社の建物で、この場所は今は斗山グループのビルになっている。

 で「バンドホテル」の地下にはナイトクラブがあり、同行の友人と二人でその夜、好奇心にかられて入ってみた。古い建物なのでえらく天井が高く、しかもひどく薄暗くて殺風景に感じた。もっとも当時のソウルはどこでも夜は薄暗く、電気の節約ぶりを思わせた。ナイトクラブでの思い出はいくつかあるのだが、そのひとつが「テジョン(大田)ブルース」がある。

 ぼくにとってはこの時耳にした「テジョン・ブルース」が初めての韓国歌謡だった。これは実に強烈な印象だった。こんないい歌が韓国にあるのか!と感動した。ぼくはもともと日本の演歌ファンだが、この時きの経験でぼくはいっぺんに韓国の演歌ファンになってしまった。

 演歌風の歌謡を韓国では「トロット」といっている。ぼくの韓国とロット遍歴は「テジョン・ブルース」がスタートになった。

 「テジョン・ブルース」の情緒はトロットのキーワードの一つである〝別れ〟である。小雨そぼふる深夜の大田駅プラットホームでの別れが詩心になっているのだが、歌詞にある「大田発零時50分」の列車は「木浦行き」だ。大田駅は京釜線と湖南線の分岐点である。歌の列車が釜山やソウル行きではなく湖南(全羅道)の南西端の木浦行きであるところに、さらなる情緒がある。湖南線は韓国演歌の情緒を満載している。

 ところで今春、韓国高速鉄道がついに開通する。ソウルから大田までわずか50分の距離になる。それに大田への行政首都移転計画も出ている。「テジョン・ブルース」の情緒も昔話になるのだろうか。


  くろだ・かつひろ  1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者を経て、現在、産経新聞ソウル支局長。