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2005/09/23

<随筆>◇両班(ヤンバン)について◇ 韓国文化院 原田 美佳さん

 両班(ヤンバン)について最近は話す機会も少なくなっている気がする。両班は、王の御前で東西に位置する文官と武官の二つの班を指していう貴族階級の人々のことである。朝鮮王朝時代の国教である儒教を基礎として、両班の文化は培われてきた。最近はとんとすることがなくなったが、80年代には、『族譜』や『姓氏大観』などの資料を前に両班の話によく花が咲いたものだ。

 韓国文化院に私が勤め始めたときの尹鐸院長が、まさに両班といった感を抱かせる人であった。歩くときは、まず顔を上向きにあげて歩かれ、日頃は鷹揚で何事にも動ぜずゆっくりしている。

 院長のお客様が次々と入れ替わりで訪れ、「月刊韓国文化」の編集者が「いつも誰かおられますね」と感心していた。お客というのも、人間国宝や高名な芸術家も多く、院長室はさながら「サランバン」という韓国のサロンと化していた。

 尹院長は国立現代美術館長なども歴任され、陶磁器や絵画といった韓国文化の話はおもしろく、たいへん興味深いものであった。うっかりすると一日中お茶を飲み続けることになるので、たまにさっと抜けて、図書室で韓国の陶磁器研究書などを見ておられるということもあった。

 人脈を活かして有望な国立の劇場の企画担当者を日本のミュージカル・カンパニーで研修する道筋をつけたりと、現在でもこうした人的関係は続いている。

 帰国されてから一度、芸術団の団長として来日されたことがある。百人近い団員の宿泊先から広報までの仕事の為に来られた。急なことで何処もホテルも取れず困っていたときに、ちょうど「サランバンの友」の社長さんと偶然会えることになって、相談したところ、あちこちに電話して下さり、なんとか無事確保することができた。その後、国立劇場長や映画振興公社社長を経て、最近では文化観光部のOB会の代表などもされ、『文化観光年鑑』の発行者ともなっておられた。

 だいぶ前になるが「日韓ミーハーの会」(日本と韓国の魅力を発見する会)の修学旅行で、孤山・尹善道の足跡を訪ねて、流配先である甫吉島などにいくこととなった。尹善道は「漁夫四時詞」などでも知られる朝鮮王朝の三大詩人の一人にも数られる17世紀初め頃の両班である。

 途中、海南の尹鐸院長の本宅へ、故尹学準先生(法政大学教授)を先頭にミーハーの会の有志でお邪魔した。訪問日の連絡が一日違いで届いていたようで、お母様にはご挨拶ができなかったが、文化財(重要民俗資料153号)に指定されている立派なお宅は拝見することが出来た。いまでも台風が通過すると海南まで屋根などのチェックをしに往復されたりと、文化財に指定されているが故に維持管理はたいへんなことである。

 尹学準先生の本貫は、発音が難しい坡平尹氏である。韓国人で両班ではないと明言した人にはいまだ二人しかお目にかかっていないが、尹学準先生がこのうちのお一人である。韓国文化院でも在日婦人の同好会「成話会」で定期的に詩調の講習会で指導をされておられた。『オンドル夜話』『歴史まみれの韓国』『韓国両班騒動記』といった両班に関する著作で私たちも両班の世界を垣間見る機会を得た。

 両班文化の精髄ともいうべき祭祀については、以前、安東地方の祀チェサの模様を「祭祀-それは韓国人の知恵さ」と題して本紙で書かせて頂いたことがある。韓服に身を包んだハラボジたちが、次々に弔問に訪れる人の読み上げる「祝文」を聞いただけで理解する様には、たいへんな驚きであったとともに少しのミスも許さない厳格さをもちながらも淡々と行なう両班の伝統を実感できる貴重な経験であった。


  はらだ・みか 東京都出身。共著書に『コンパクト韓国』(李御寧監修)『読んで旅する韓国』(金両基監修)「朝鮮の王朝の美」(翻訳コーディネート)ほか。80年代から韓国文化紹介機関である韓国文化院に勤務。現在、交流支援チーム長。日韓ミーハーの会、NPO日本ガルテン協会会員。