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2005/09/09

<随筆>◇かぼちゃ粥◇ 武村 一光 氏

 猛暑の中、子供たちが孫を連れてとっかえひっかえ泊り込みで長期滞在、孫の相手にそれこそまごまごして過ごした。夏休みが終わりに近づいて皆が引き上げると、嘘みたいに静かになった。

 その間、伸ばしのばしになっていた家庭菜園の畑仕事にやっと時間を割くことができるようになった。この暑さのせいで雑草がわがもの顔に茂っている。それでもそんな雑草の中でかぼちゃだけはよく実った。まるで土手かぼちゃよろしく、枯れ草の山を乗り越え、近くの桜の木を這い上がっている。せいぜい4つか5つと思っていたが、いざ収穫してみると15~16個もあった。こんなに食べきれるはずもなく、さてどうしようか考え込んでしまった。

 そんなごろごろしたかぼちゃを見ていたら、以前、ソウル駐在したての頃を突然思い出した。ヨイドに住んでいたのだが、近くのスーパーで大きな黄色いかぼちゃが丸ごとでなく、何分割で売っているのを見つけた。単身赴任だからありがたい話だ。早速かごに入れた。

 レジのおばちゃんが、「このかぼちゃどうやって料理するの」と、こちらが日本人と知って訊いてきた。「甘く煮付けるかてんぷらかな」と心細い返事をすると、一瞬えっという顔になったが、おいしく食べられたらいいねと世辞を言った。

 私はおばちゃんと約束したような気になり、すぐに料理に取りかかった。まず煮付けだ。火を通して暫くしてもなかなか粉を吹いてこない。ついに我慢しきれず醤油と砂糖で味を調えた。なんとも見栄えのしないぐずぐずの炊きものになった。

 次いでてんぷらに挑戦した。しかし、揚げる前からきっと駄目だろうなとの悪い予感はあった。果たして、くんにゃりとして全く張りがないてんぷらもどきになった。味は言うまでもなくとても食べれたものではなかった。おばちゃんの怪訝な顔の意味がやっと分かった。

 あとで知ったのだが、この黄色い大きなかぼちゃはお粥にするのが本来の食べ方だったのだ。言われてみるとデパートの地下でかぼちゃ粥を食べさせていたが、傍に大きな黄色いかぼちゃがこれ見よがしに置いてあった。餅屋は餅屋、べたべたかぼちゃは粥にはもってこいなのであった。

 そんな粥を酒席の座で、まず最初に食べさせられたことも忘れない。まだお酒を一滴も飲まない内に小鉢の粥を匙ですくって食べる。上品な甘さが美味しいのだが、これから酒を飲もうというのにミスマッチに思えてならなかった。胃壁を粥が覆って、これから流れ込んでくるであろう強い焼酎から胃を守ってくれるという。いかにも本当らしいのが面白い。在任中、何度もぶっ倒れるほど飲んだが、胃がやられることはなかったから、もしかして本当にこのお粥のお陰だったかもしれない。

 わが家庭菜園も来年はこのお粥かぼちゃに挑戦してみようか。土壌の違う畑で大丈夫だろうか。種はどうやって手に入れようか。新たな課題だが、うまくできたら早速かぼちゃ粥を作って孫たちに食べさせてみよう。どんな顔をするか楽しみだ。


   たけむら・かずひこ 1938年東京生まれ。94年3月からソウル駐在、コーロン油化副社長などを歴任。98年4月帰国。日本石油洗剤取締役、タイタン石油化学(マレーシア)技術顧問を歴任。茨城県鹿嶋市在住。