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2005/08/19

<随筆>◇異国での平壌冷麺◇ 韓国双日 大西 憲一 理事   

 ホーチミン空港から街中に入ると、さっそうとオートバイをぶっ飛ばす「月光仮面」(ちょっと古いですが)に圧倒される。帽子を目深にかぶり、顔全面を覆ったマスクにサングラスの異様な姿は、まさに正義の味方「月光仮面」そのもの。その数は尋常ではない。ラッシュアワーともなると道路一杯を「月光仮面」が占拠する。バスや乗用車は遠慮がちにノロノロ走るしかない。

 さてさて月光仮面の正体は? 実はほとんどが普通のOLで、マスクを外すとアオザイやジーンズに身を包んだ可憐なベトナム・アガシが現れる。

 彼女たちは年々増え続ける排気ガスから身を守るために、常夏の国で「月光仮面」に変身せざるを得ない。オートバイ天国のベトナムならではの笑えない風物詩だ。

 先般、久しぶりに「月光仮面」と再会したベトナムは、相変わらずの喧騒と元気印の人々で満ち溢れていた。ベトナムでのもうひとつの楽しみは「フォー」。日本の肉うどん風の「フォー」はベトナム料理の代表選手で、ソウルでも「ベトナム・サルククス」の名前で人気があるが、やはり本場の味が一番。それに何といっても安い。

 今回もさっそく現地駐在員のN氏に案内を所望したが、「フォー」には食傷気味の彼は、「今日は冷麺行こ」と来た。「ここまで来て冷麺?」と一瞬ひるむ私を尻目に彼が連れて行ってくれた店には、韓国語の看板で「ピョンヤン・レンミョン」、「ネンミョン」ではなく「レンミョン」ときたら北朝鮮ではないか。案の定、店の名前は「平壌大同江食堂」。中国にはあると聞いていた北朝鮮直営の店がベトナムにも進出していたのある。

 店に入るとチマチョゴリのアガシ、ではなく「トンム」(アガシは南朝鮮の言葉)がにこやかな笑顔で迎えてくれた。チマチョゴリに弱い小生は負けずに笑顔で応える。2階の予約席へ行くともう客は一杯で、それもほとんど韓国人。そこにも別のトンムがこぼれるような笑顔で待っていた。北の訛りが懐かしい。N氏は手馴れた風情で「ブルコギ」「ウナギ」「チジミ」を注文する。いずれもなかなかの味である。

 酒は「真露」もあるがA氏は「平壌焼酎」をオーダーした。かなり強い酒だ。材料は全て平壌から運んで来たとのこと。こぼれる笑顔のトンムは1年前に平壌の一流大学(韓国ではソウル大に匹敵)を卒業し、当地に派遣されて来たようです。超エリートに違いありません。因みに店は2年前に開店したという。

 酒と料理が進んだ頃、店の奥にある小さなステージにトンム達4名が集合して歌謡ショーが始まった。皆、こぼれるような笑顔美人揃いで、北朝鮮のヒット曲「バンカプスムニダ」「フイッパラム(口笛)」などを、透き通るような美声で歌いだした。我々は平壌焼酎と美声にすっかり酔いしれた。

 最後の締めはやはり平壌冷麺。以前、平壌の高麗ホテルで感激して食べた本場の冷麺に負けない味である。今や「フォー」のことをすっかり忘れた小生は、異国での思いがけない平壌の夜を満喫した。


  おおにし・けんいち 福井県生まれ。83-87年日商岩井釜山出張所長、94年韓国日商岩井代表理事、2000年7月から新・韓国日商岩井理事。昨年4月、韓国双日に社名変更。