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2005/05/27

<随筆>◇幻の名画『アリラン』◇ 崔 碩義 氏

 ―――アリラン アリラン アラリヨ アリランコゲロ ノモガンダ/ 晴れた空にゃ 星数多く うちの暮らしにゃ もめごとが多い―――これは、韓国映画の最高傑作といわれる「アリラン」の主題歌の一節である。

 いうまでもなく「アリラン」は昔から韓国人の喜怒哀楽を代弁してきた民謡で、私は軽やかに流れるときのリズムも好きだが、激しく喉が破れ、五臓六腑がひっくり返るように歌うのを聞くと、何故か、じーんと感動する。あたかも民族の情念がアリランに乗り移ったかのように。それはアメリカの「黒人霊歌」を十分に上回るものといえるだろう。

 シドニーのオリンピックの開会式で、南北の選手団が一緒に入場行進を行ったときに「アリラン」の旋律が流れて、世界の人たちに深い感銘を与えたことは記憶に新しい。ここでふと、思い出されるのは太平洋戦争末期、ある朝鮮人特攻隊員が沖縄に突っ込む前に、基地で「アリラン」を一曲、静かに歌って出撃したと伝えられる。一体、朝鮮人特攻隊員はそのとき、どんな想いでアリランを斉唱したのであろうか。

 ところで、韓国の芸術分野における近代化の過程で、歌曲の洪蘭坡、油絵の李仲燮、映画の羅雲奎の果たした役割は大きい。なかでも羅雲奎を語る場合、韓国映画史上、画期的な名画「アリラン」を挙げなければならない。この無声映画は1926年に作られ、爆発的にヒットした作品なのだ。

 映画は、3・1独立運動のときに警察の拷問を受け、精神異常者になった永鎭が主人公で、彼が故郷に帰って、日帝と地主の手先として悪事を働く呉基浩を鎌で殺害する。その瞬間、永鎭の精神が正気に戻るが、同時に、再び警察に連行される身になるというストーリー。いうまでもなく、この映画は抗日の民族感情をテーマにしている作品である。

 だが、残念なことにこの貴重な「アリラン」のフィルムが、韓国戦争で行方不明になってしまった。おそらく焼失した公算が強いといわれる。世界の名画を蒐集し、所蔵していることで有名な北の金正日の映画コレクションにも見当たらないという話だ。

 最近、韓国でこの「アリラン」のリメイク版が製作され、日本でも近く上映される予定になっていると聞いている。しかし、それはどこまでもコピーであって、本物を見たいと思うのは私一人ではないだろう。

 これは何カ月か前の新聞の報道で知ったのだが、東大阪市に住んでいた映像コレクターの阿部善重氏が亡くなった。阿部氏は父親の代から朝鮮総督府に関係していた人物で、彼の所蔵目録の中に何と「アリラン/九巻/現代劇」と記載されていることが判明した。

 しかし、阿部氏に後継者がいなかったために、このコレクション全部が日本政府の所有に移り、目下、東京国立近代美術館フィルムセンターで整理中である。幻の名画「アリラン」の一日も早い公開が期待される。


  チェ・ソギ 在日朝鮮人運動史研究会会員。慶尚南道出身。最近の著書に『在日の原風景―歴史・文化・人』(明石書店刊)などがある。