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2005/05/20

<随筆>◇重役は辛い◇ 韓国双日 大西憲一 理事

 日本と同じように当地のサラリーマンの夢と目標は大企業の役員。大きな権限と破格の待遇を与えられる大企業の役員は羨望の的だが、折角勝ち得た椅子を維持するのは容易ではない。
当地有数の大企業の理事(取締役)のAさんの朝は早い。家を5時台に出発し、会社には6時半までに到着する。冬場の5時台といえばまだ真っ暗で寒さがこたえる時間だ。会長、社長もほぼ同時刻に出社するので他の役員も遅れるわけには行かない。7時を過ぎると部長、次長と上位職から順番に出社する。定刻の8時に一般社員が揃う頃には役員の早朝会議が終わっている。

 朝が早いからと言って夜が早いわけではない。取引先との会食に加え、日本と同じように上役や部下とのノミニケーションも忘れてはならない。当地は一旦酒が入ると二次会、三次会が普通なので帰宅は午前様となる。時には爆弾酒も入ってアルコールの量は半端ではない。しかし翌日の出勤は6時半。二日酔いと睡眠不足を翌日に持ち越すようでは役員は務まらない。

 理事2年目のAさんの毎日は実に忙しい。小生とは長い付き合いだが、最近はアポを取るのも一苦労である。朝から会議の連続に加えて上級役員からの呼び出しが頻繁にある。例え取引先との重要会議でも、上からの呼び出しは最優先にしないとまずいらしい。上下関係に厳しい韓国では、役職の差は軍隊の階級と同じで絶対服従に近い。海外出張は羽を伸ばせる機会ではあるが、実力者上役に同行の場合は緊張する。高い評価を受ける絶好の機会の反面、失敗すれば地獄が待っている。海外出張から帰国した役員がそのうちにひっそりと姿を消した例も少なくないようだ。もちろん実績と評価が悪ければ1年でも折角の地位が危なくなる。

 中央日報によれば、大企業の一つであるS社の場合、2000年に新役員になった49人のうち、昨年末までに18人が退任しており生存率は63%。これはまだ良い方で、同じく大企業のH社の場合は、2001年の新役員47人が昨年末には半数近くの25人しか生き残っていない。50代そこそこで退職した元大企業役員さん達はどうするのだろうか?引退するには早すぎるが、プライドもあって転職は容易ではないらしい。

 それでもみんな役員を目指している。小生の友人の一人のKさんは、仕事はできるし、海外仕込みのマナーは洗練されている上に、タレント並みの風貌と三拍子揃っていたが、なぜか部長職が長かった。本人は、「部長なら比較的身分安泰なので、むしろこのまま昇進なしで行ければいいと思っている」と苦笑していたが、ある日、満面の笑みで迎えてくれた。差し出した名刺の肩書きは「理事」となっていた。ついにやったのである。

 早速、祝杯を上げたが、彼は前言をすっかり忘れて「理事」職に酔いしれていた。そして約1年後、彼から転職の便りを貰った。


  おおにし・けんいち 福井県生まれ。83-87年日商岩井釜山出張所長、94年韓国日商岩井代表理事、2000年7月から新・韓国日商岩井理事。昨年4月、韓国双日に社名変更。