ここから本文です

2005/03/04

<随筆>◇玄仁先生もご機嫌だろう◇ 産経新聞 黒田 勝弘 ソウル支局長

 何年か前だったが、MBCテレビの「名士招待席」という番組の秋夕特集で歌を歌わされたことがある。外国人ばかり五人ほどで韓国の歌を歌った。秋夕ということで全員が韓服を着せられ、一人一人それぞれの“十八番”を歌ったが、その時のぼくの持ち歌は「雨の降る顧母嶺(ピネリヌン、コモリョン)」だった。

 ぼくとしては秋夕特集番組なので、「母」「故郷」など韓国人の心をジーン(韓国語ではチーン)とさせるナツメロ演歌を選んだわけだ。ところが素人の悲しさで、リハーサルで何回も歌ったため肝心の本番で声が枯れてしまったことを覚えている。

 このテレビ出演のおかげでその後しばらく、カラオケとなるとよくこの歌を歌わされたものだ。本当はこうした場面でのぼくの十八番は、同じく「故郷」や「母」が登場するナ・フナの「故郷の駅(コヒャンニョク)」なのだが。

 しかし「雨の降る顧母嶺」は韓国演歌の名曲だ。演歌のキーワードの一つである「雨」が入っているナツメロには「雨の降る湖南線(ピネリヌン、ホナムソン)」もある。これも名曲だ。カラオケで何曲でもやっていい時は、ぼくはこれらの名曲をみんなやらせてもらうことにしている。

 ところで「雨の降る顧母嶺」の「顧母嶺」というのは、全羅北道にあると聞くが行ったことはない。この歌は三年前に亡くなった玄仁(ヒョン・イン)先生の持ち歌で、面白いことに彼は全羅道出身ではなく釜山出身だったことを最近、知った。

 釜山港にかかっている影島橋(ヨンドタリ)の永久保存が決まったと聞いたので先日、釜山に行ってきたのだ。この橋は日本統治時代の一九三〇年代に完成した開閉橋で、釜山名物として昔から市民に親しまれてきた。

 1950年代の朝鮮戦争では北からの避難民たちの“再会場所”になった。いわば日本の終戦直後にドラマ「君の名は」で有名になった東京の数寄屋橋の韓国版だ。

 橋の保存決定に合わせ、橋のたもとに玄仁先生の銅像と歌碑ができた。というのも彼の持ち歌の中に北からの避難民を歌ったナツメロ名曲「がんばれクムスナ」があるからだ。この歌には影島橋も登場する。

 訪れた時、海からの寒風が強く実に寒い日だった。銅像と歌碑は影島側の橋のたもとにあり、玄仁先生の歌がテープで流れていた。影島橋だから「がんばれクムスナ」の歌だけでいいのに、「新羅の月夜」はじめ彼の主な持ち歌がみんなエンドレスで流れているのだ。エンドレスというのもおかしいが、ほかの歌までなぜだろうと思って歌碑に刻まれた年譜を見たところ、彼は釜山の、しかも影島生まれだったのだ。

 影島橋は今後、新しく整備して開閉も再開するという。あらためて釜山の名所になりそうだ。玄仁先生も永遠に記念されてご機嫌だろう。「歌は世につれ世は歌につれ」を実感しているところだ。


  くろだ・かつひろ  1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者を経て、現在、産経新聞ソウル支局長。