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2006/10/27

<随筆>◇俳人・韓汀舟(ハン・テイシュウ)さん◇ 武村 一光 氏

 俳句連中「まだん」の吟行会は9月30日から10月3日まで4日間の強行軍であった。いつもは1日限り、長くても1泊2日だ。4日連続は極めて異例、少なくとも私には初めての体験だった。それというのも韓国から長年の俳句仲間の韓汀舟さんをお呼びしたからだ。汀舟さんは80歳の高齢のご婦人、慣れない飛行機の旅とあって今のソウル俳句会主宰の山口禮子氏が同行して下さった。

 隔月に行う「まだん」吟行会は14-15人なのに、さすがに今回は25名の盛会になった。汀舟さんは小柄で細身、だから周りが気にして飛行機は大丈夫でしたか、なんてつい気を回してしまう。初日の吟行会は鎌倉長谷の大仏、長谷寺そして腰越海岸だった。日本の歴史を感じさせるどこか、とのリクエストに応えての場所だ。いざ、吟行を始めると汀舟さんの足取りは軽くなり、まるで童女を思わせる生きいきさだ。

 秋雨に はまべに夢の さくら貝     汀舟

 ずっと昔から一度さくら貝を拾ってみたかったと、はにかみながらの説明に心なしか頬が染まる。

 貝拾う 媼(おうな)の秋や 古戦場   宙明

 見せむとし 風に飛ばされ 桜貝     彰宏

 古戦場とは鎌倉腰越海岸が義経・頼朝の切ない兄弟の戦いの場と知っての句であり、韓国の汀舟さんには一寸難しかったに違いない。でも、憧れのさくら貝だけで3句もできたのだから大喜びであった。

 句会の3日目は、山梨県須玉の片田舎「大石亭」と呼ぶ古農家に移動して行われた。直ぐ近くに清流が滔々と流れて、丁度稲刈りの最中の田んぼがあり、神社があって霧が立ち込める典型的な日本の里山だ。これも汀舟さんのご希望だそうだ。

 赤とんぼ しばしせせらぎ 聴いて去り  汀舟

 五七五に纏めるだけでも難しい俳句、しかも韓国人の汀舟さんがと思ってしまう。そこに歴史の隠された部分があるのをうっかり見落としてしまいそうだ。

 汀舟さんは日本統治時代に日本の教育を受けさせられているのだ。兄や姉は日本の大学に行った。自分は事情で日本に行けず梨花大学に進んだ。日本大使館に就職、仕事の傍ら外大の英文科に通った。皮肉にもそこで俳句に出会ったそうだ。

 君が代を 歌ひし母校 松落葉      汀舟

 これからは花鳥諷詠を基礎にするけれど、そこに人間性や社会性、人間探求とかそんなものを入れた句を作りたいという。この吟行会にご一緒しただけでも幸いと思っていたが、汀舟さんの胸の内はまだまだ膨らみ続けると知って、ただただ頭が下がるばかりだ。

 ソウル俳句会、そのOB的存在の俳句連中「まだん」には日本の俳句愛好家の他に、汀舟さん以外にも俳句を愛し、俳句を詠む韓国の方々が数多くいるのだ。日本人でも苦吟する俳句をどうして上手に詠めるのか不思議でならない。  


  たけむら・かずひこ 1938年東京生まれ。94年3月からソウル駐在、コーロン油化副社長などを歴任。98年4月帰国。日本石油洗剤取締役、タイタン石油化学(マレーシア)技術顧問を歴任。茨城県鹿嶋市在住。