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2006/06/09

<随筆>◇奈良に遊ぶ◇ 崔 碩義 氏

 今年の桜の頃、奈良に遊んだ。戦前、大阪から東京まで超特急を誇った「つばめ号」でさえ8時間かかったが、今は新幹線でたったの2時間36分だ。今更ながらこのスピード文明には驚嘆せざるを得ない。

 ところで奈良といえば脳裏に去来するのはその地に住む友人のペ・ジョンジン氏のことだ。2年ほど前になるがある日突然、本人から次のような前代未聞の悲しい手紙をもらった。

 「謹啓 このたび、私は天命により幽冥の世界へ旅立つことになりました。長い間の友誼に感謝するものです。葬儀は自分流を貫いて僧侶も牧師もよびません。家族だけでの密葬でしめやかに執り行うよう強く申しつけました。非礼とは思いますがここにお知らせいたします」

 私は少年のころ、奈良の法隆寺や東大寺には何回か足を運んだことがあり、とくに東大寺の大仏を見て、その巨大さに畏敬の念に打たれたことを覚えている。

 今回は大阪の知人と一緒に興福寺、唐招提寺、薬師寺といった歴史の古い寺を駆け足で見学した。以下はこのときの雑感である。

 まず興福寺では「阿修羅像」(国宝)を参観。その三面六臂の奇怪な姿と、あどけない少女のような顔に鳥肌が立つ。なおも凝視すると阿修羅像が何故か、かの北朝鮮の独裁者のグロテスクな面相に二重映しに見えてきたので狼狽した。

 奈良の中心街を抜け、唐招提寺、薬師寺の位置するあたりまで来ると、春風がさわやかで気分がよい。たしか金達寿が書いていたように、このあたりの風景は韓国の慶州の面影とどこか似ているように思えた。

 次に訪れた唐招提寺は、折しも金堂の大修理中で全部見られず残念。言うまでもなくこの寺の開祖は中国から幾多の困難を克服して日本にやってきた鑑真和上である。思えば日本の古代仏教は中国の鑑真和上ばかりでなく、むしろ朝鮮僧から多くの影響を受けた。これについては仏教史学者の鎌田茂雄氏は、朝鮮僧の活躍を高く評価する。例えば、東大寺で初めて華厳経を講じたのは新羅僧の審祥であり、また聖徳太子は百済僧の日羅上人を尊敬するあまり、跪地再拝の礼をとったという。

 最後に、唐招提寺に隣接する薬師寺に回る。金堂のまばゆいばかりの薬師三尊像には息をのむ。堀辰雄の「凍れる音楽」という愛称で親しまれる東塔と、新築して間もない西塔がいずれも美しい。また、薬師寺には「西遊記」で知られる玄奘三蔵を祭る伽藍まであった。そこに展示されている平山郁夫画伯のシルクロードの壁画もまったくすばらしい。

 最後に玄奘と関連して、新羅僧の慧超について一言記しておきたい。慧超は海路からインドに渡り、釈迦の遺跡である五天竺をめぐり、中央アジアを経て長安に帰るという偉業を達成した。慧超の書いた「往五天竺国伝」は1908年にフランス人のペリオによって敦煌石窟で発見され一躍有名になった。それは朝鮮人による最初の世界旅行記でもある。


  チェ・ソギ 在日朝鮮人運動史研究会会員。慶尚南道出身。最近の著書に『黄色い蟹 崔碩義作品集』(新幹社刊)などがある。