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2006/04/28

<随筆>◇ダバオでゴルフ交流◇ 武村 一光 氏

 この冬、フィリピン・ダバオの街で毎日のようにゴルフをしてきた。ゴルフを楽しんだと言えれば格好良いのだが、残念ながら私のゴルフはその域に達していない。昨年1月、急性肺炎に罹り入院したことがあって、しかも、それ以来慢性的な咳に悩まされていたから、寒い日本を避けてミンダナオ島の南端にやってきたのだ。毎日30℃の暑さは入院の恐れを吹き飛ばしてくれた。肺を強くするためにウォーキングを医師から勧められていた。ただ歩くのもなんだからとゴルフをついでにやることにした。飽くまでも歩きが主体でゴルフは二の次だ。

 幸いクラブはキャディーが手引きカートで運んでくれ、全ホール歩いて回る。気温も湿度も高いのに、たまに吹く爽やかな涼風が最高の気分にしてくれた。

 いつも先輩のN氏と2人で回る。何回かプレーをしていて気が付くことがあった。ゴルフ場はいつもがらがらなのだが、たまに混むことがある。その混む原因はコンペとかち合ったときだ。そしてコンペとなると日本人か韓国人のどちらかであって現地フィリピン人ではなかった。

 4人一組のプレーだが、プレイヤー一人にキャディーと日傘をさすアンブレラガールが付く。だから全部で12名が一団になって進む。当然プレー時間は遅くなり、あとを行く我々は足止めを食ってしまう。

 それはそれでよいのだが日本人と韓国人のグループに大きな差があることが分かった。日本人は熟年、韓国人は若者と決まっている。そして熟年組は汚いなりをして、若者はスマートだ。日本人の私の目から見るとこの差が気になるのだが、キャディーから見るとコンペという団体行動は日本も韓国も変わらないと映るらしい。

 ある朝、私一人でプレーをした。N先輩は他に用事ができたのだ。スタートしようとしたときキャディーが何か戸惑っている。訊くと一緒に回りたい方がいるがどうでしょうとのこと、こちらはどうせのんびりゴルフ、それでよろしければとOKを出した。現れたのは50歳がらみの韓国紳士であった。どうぞよろしくと立派な日本語、こちらもチャルプッタケヨなんて応じたものだから一気にうち解けあった。ダバオから200㌔の奥地でバナナを栽培、実れば韓国に輸出する実業家だ。海抜1950㍍のアポ山があるダバオ、奥地に入れば政治的に不安定だろうと訊くと、それなりに保険を掛けているから大丈夫と胸を張った。

 なかなかの社交家で、あっという間に二人の韓国人を仲間に入れた。英語、日本語、韓国語、入り混じっての楽しいゴルフになった。1ラウンドを終えて引き上げようとすると、我々はもう1ラウンドプレーしますという。この炎天下に2ラウンドもやるのかとそのタフさに驚き入った。

 翌日はいつものようにN氏と回ったが、すれ違ったコースの向こうから、アンニョンハセヨと昨日の紳士が笑顔で声をかけてきた。今日は儲かっていますと明るかった。小銭でも賭けているのだろうか、こんなところは日韓は良く似ているのだ。


  たけむら・かずひこ 1938年東京生まれ。94年3月からソウル駐在、コーロン油化副社長などを歴任。98年4月帰国。日本石油洗剤取締役、タイタン石油化学(マレーシア)技術顧問を歴任。茨城県鹿嶋市在住。