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2007/12/14

<随筆>◇外国人教授任用と藤波孝生先生◇ 桃山学院大学 徐 龍達 名誉教授

 いま日本の国公立大学には、韓朝鮮人(徐の統一用語)が三百人以上も採用されている。採用人数では中国人五百余人がトップで三位がアメリカ人、以下イギリス人、ドイツ人など世界各国からの教員千五百余人が在職している。東大や一橋大はもとより、京大には管理職の研究所長(韓国籍)も実現して活躍中であることは大変よろこばしい。

 敗戦後の日本では、公務員法の解釈が歪曲され、三人の例外的な准教授任用事例はあったが、原則として定住外国人は助教までだった。そのカベをつき破ったのは「在日韓国朝鮮人大学教員懇談会」を先陣とする日本人教授たちの運動であった。最近、「国公立大学外国人教員採用に至るまで」の特集が、社団法人大阪国際理解教育研究センター(鄭早苗理事長)発行の『Sai(サイ)』第五六号(二〇〇六年一二月)で検証され、すこしはその歴史が明らかにされた。ここで韓朝鮮人ら定住外国人の国公立大学教授を実現させた任用法制定の日本人国会議員の功労者を紹介しておきたい。

 去る一〇月二八日、肺炎・呼吸不全で逝去された藤波孝生氏(74)がその第一の恩人である。同氏は六七年衆議院議員に初当選、七九年から労働大臣、八三年中曽根内閣で官房長官などを歴任され、将来は首相候補と目された人物であった。物静かで謙虚な「支え役」の藤波氏だったが、リクルート事件で受託収賄罪で有罪が確定。その後も当選を重ねたが二〇〇三年に政界を引退された。犯罪歴はそれとして、外国人教員任用法制定の功労者であった事実は否めない。

 「大学教員懇」代表としての私は、日本政府への攻略対策で頭をひねった。まずは大阪選出の上田卓三社会党議員、次に寒川喜一民社党議員と大阪の二十日会(レストラン清香園後援会)で協議、その紹介で文教族の受田新吉議員に案内されて、永井道雄文部大臣に「国公立大学へのアジア人専任教員採用等に関する要請書」を提出したのが七五年一〇月二日で、広くマスコミに報道された。

 だが社会党や民社党は所詮、野党なので運動は一向に進展せず、五年間も国立大学協会、公立大学協会、日本学術会議の会長らと交渉したりして悶々とするうちに、政権党の自民党と交渉する決心をした。その文教部会長で元文部政務次官の藤波先生と会ったのは七七年一二月六日、三重県磯部町渡鹿野島に完成した国際観光ホテルの祝賀式典であった。

 藤波先生の隣席に招かれた私は、任用問題について懇談、国会でもお会いして成案の見通しがついたのである。法案作成は自民党の文教政策集団「新生クラブ」の秦野章元法務大臣が中心となり、森喜朗議員、河野洋平議員ら多数の協力があって、最終的には石橋一弥文部大臣らの議員立法によって一九八二年八月二〇日に任用法が成立したのである。ここに藤波先生のご功績を讃えるとともに、ひたすらご冥福をお祈りしてやまない。


  ソ・ヨンダル 1933年韓国釜山市生まれ。神戸大学大学院博士課程修了。桃山学院大学名誉教授、在日韓国奨学会理事長。1972年在日韓国朝鮮人大学教員懇談会設立代表など。