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2007/10/12

<随筆>◇新老人を目指して(シンノイン ウル ヒャンハヨ)◇                                               韓国ヤクルト共同代表副社長代行 田口 亮一 氏

 10月1日に、この欄でも何度か書かせて頂いた日野原重明先生のソウル講演会が、ロッテワールドホテルのクリスタルボールルームで開かれました。

 私も新老人の会アメリカ支部の吉田さん、ソウル支部の秋山さんと、両御先輩からの依頼で講演会パンフレットを8000枚程、我がヤクルトアジュマに配布してもらったので、「もしお客さんの入りが悪かったらオトケハッカナー(どうしようかなー)」と若干の危惧を持って会場に出向いた訳ですが(両先輩もこれが一番のコミンコリ・・心配の種だったようです)、続々とつめかけるハラボジ、ハルモニを見てホッと胸をなでおろしました。さすがにテーマがテーマだけに老若男女(韓国では男女老少と言いますね)がうち揃ってとは参りませんが、それでも老若男女が1000人定員のところに立錐の余地もなくうち揃い、日野原先生のお出ましを今か今かと待ちわびていました。

 何人かの韓国側主催者の方のごあいさつと祝辞が終わり、キタリゴキタリトン(待ちに待った)日野原先生のご登場でーす。私はこれを「ハテナポーズ」と呼んでいますが、先生独特の右肩寄りに首をかしげながら、しかし本当にノッラルマンクン(驚く程)かくしゃくたる足取りで壇上に出てこられた先生は、先ず超満員の聴衆の皆様にお礼を述べられ、すかさず「立っていらっしゃる方も沢山いらっしゃるようですが、私も立って話をするので我慢してくださいね」と会場の笑いを誘われました。驚くなかれ、先生はその後2時間ほど、ズーッと立ちっ放しで講演を続けられたのです。

 先生は71年の「よど号ハイジャック事件」の時、その飛行機に乗っていたとの事。3日間の機内監禁から解放されて金浦空港の土を踏んだ時、「アー、サラッタ(助かった)、自分はここで一度命をおとしたのだから、これからは人の為にこの命を捧げよう」と決心された事。

 また6年後の2013年には、ここソウルで「世界老人学会シンポジウム」が開催される予定で、この度その学会で特別講演を依頼されて快諾された事。またその時には先生ご自身102才になっている事。この話の時に長寿の秘訣の一つとして「遠い将来の約束を出来るだけ多くすること。」とおっしゃいました。トンカムイムニタ(同感です)。人はその約束を守ろうとするが故に強くなるからです。ただし今から50年も100年も先の約束と云うと「物理的不可能アラソハセヨ(勝手にしんしゃい)」になるので皆さん程々のところでお願いします。

 そして、老人の定義というか呼称を、今の65歳から75歳に改めるよう日本政府に建議中とも言われました。「ワーイ、ワーイ、それでは俺はまだまだ壮年だーい」などとみさかいもなく喜んでいる私のような輩は、大体75歳までも無理でしょう。其の他色々のお話をされましたが、何より先生御自身の御姿を目の前で見たことが、百言よりも新老人の生き方を強く証明しているように感じました。

 新老人の会の3つのスローガン「①愛し愛されること②創めること③耐えること」、そして1つの使命「子供たちに命と平和の大切さを伝えること」。私は今後、このスローガンと使命を目標にして生きて行こうと決心しました。

 「出来るかナァー?出来ねェだろうナァー、ムムッ」


  たぐち・りょういち 1943年満州国生まれ。東京都立大学人文科学部卒。69年ヤクルト入社、71年韓国ヤクルト出向。94年から同社共同代表副社長代行。