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2007/09/21

<随筆>◇人生有感 ――老少年の呟き――◇ 崔 碩義 氏

 今年の夏の暑さは異常で、熱中症の脅威にも曝され正直いって参った。自分の体温を環境に適応させて生活するのも並大抵なことではない。この凄まじい暑さは、地球温暖化と無関係ではないという説がもっぱらだ。

 北極圏の氷河が徐々に溶け、生態系の崩壊が進行しているということは唯ごとではなく、明らかに人類滅亡の日が近付いていることの兆しだ。大自然の威力は絶大で、今の浅はかな人間の知恵ぐらいでこれを防ぐことが果たして可能であろうか?私はこれには否定的で、人類文明の終焉の日が確実に迫っているような予感がしてならない(滅多なことをいうではない)。

 『徒然草』に「日暮れて道遠し、わが生既に蹉陀たり…命長ければ辱多し、長くとも四十に足りぬほどにて死なんこそ目安すかるべけれ」という言葉がある。日本の古典をやたらに引用するのも何だが、これも長く在日して来た因縁であろう。

 人間の平均寿命は、医学の進歩や生活環境の変化から急速に伸びて、人生五十年、六十年といわれた時代から、今や人生八十年、九十年という時代に突入した。所謂、高齢化社会が到来したのだ。本来、人間の老年期は人生を収穫する最も光り輝く時期であると同時に、老醜をさらす時期でもある。

 自分のことをいって恐縮だが、私はいつの間にか歳をとり、今ではすっかり年寄りの部類に入れられるという悲哀を噛みしめている。最近は、体の方々が故障勝ちで満身創痍。けれども精神的には、意気軒昂な老少年のつもりでいる。

 しかし、そんな強がりをいってみても所詮、死は裏庭まで来てそこで待機している。もうこうなったら開き直って、残り少ない人生を好きなように生きて行くしかない。そして死ぬときがくれば、静かにあの世へ旅立てばよいのである。

 私は東京に用があるときは、東武東上線の柳瀬川駅から池袋まで電車を利用している(所要時間は約三十分)。問題は電車に乗っている時間をどのように過ごすかだ。たいていは新聞を読むか、居眠りをするのだが、ときには、向かい側に坐っている若い女性の脚部に視線が行くのは避け難い。

 よく見ると彼女らは決まってケイタイを手で弄っている。あのケイタイは文明の利器かもしれないが、私には何となく抵抗感があって未だ持つのをためらっている。それに今でも、電車の中で素晴らしいアイディアが閃いたり、昔の懐かしい思い出が頭を掠めると、思わず含み笑いをしてしまう。

 だが、そうした妄想の類はもういい加減にして、近頃は家路を急ぐことにしている。独り身の侘しさがないといえば嘘になるが、私にも書いたり読んだりする予定があり、食事の準備、部屋の掃除なども含めて結構忙しいのである。


  チェ・ソギ 作家。在日朝鮮人運動史研究会会員。慶尚南道出身。最近の著書に『韓国歴史紀行』(影書房)などがある。