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2007/08/24

<随筆>◇老人パワー◇ 韓国双日 大西 憲一 理事

 「ここは昔の三越」「ここは昔の本町通り」。新世界百貨店近くの信号の前でソンさんの流暢な説明を日本人のお客が興味深く聞いている。いわゆる日帝時代から生きているソンさんはいつも仕事でお世話になっているレンタカー会社のキサニム(運転手)で、今年73才になるが現役のバリバリ。髪は黒々、肌はテカテカでとても70代には見えない。奥さんに先立たれたが子供3人は全員独立しており、気楽な一人住まいを楽しんでいる。健康の秘訣は『欲がないこと』と淡々としている。欲まみれの小生とはえらい違いだが、「彼女は?」「想像に任せます」意味ありげにニターと笑った。

 ナイス・ハラボジ(お爺さん)のソンさんにも気をつけねばならない事がある。昔話が大好きで、話し出したら運転よりも話に夢中になる。こちらは冷や汗が出る。

 高齢化社会は日韓共通の問題だが、ある統計によると2050年には韓国が“世界最高齢国”になる見通しとのこと。2006年の出産率は1・13人でOECD国家のうち最低まで落ち込んだが、一方で平均寿命は延びるばかりで昨年は男74・4才(世界30位)、女性は81・8才(世界18位)を記録した。老人社会はもう始まっている。

 韓国の老人は総じて元気がいい。私のソウル・チョンガー生活を支えてくれるナム・アジュンマは1931年生まれの76才。ソウル赴任以来ずーっとアパートの掃除、洗濯、皿洗いなどお願いしているから、もうおつき合いは13年目になる。少し耳が遠い以外はいたって健康で恰幅(かっぷく)がいい。週2回の彼女の仕事は昼間なのでほとんど顔を合わせることはないが、実は顔を合わせたくない事情がある。彼女も喋り出したら止まらないのだ。話の中身は「最近、物価が高くて困る」「だからもっと手当てをアップして」。会わないようにひたすら逃げている。

 先般、娘さんが結婚すると言うので退職金を中途払いしたが、当地では勤務1年に対し1カ月分の退職金が基本なので、突然の大金の捻出に苦労した。「失礼だけど本当の娘さん?」「40過ぎたけどやっと片付いたのよ。でも、もう一人息子がいるので働かなくちゃ」。

 先日、風邪気味のため早めに帰宅した時のこと。丁度、ナムさんの仕事の日だが、午後6時はとっくに過ぎていたから仕事は終わっているはず…と思ったが、玄関のドアを開けると人の気配がする。浴室から鼻歌が聞こえる。豪快に鼻をかむ音も混じっている。どうやら入浴を楽しんでいるようだ。(困ったな。気づかれてはまずいな)そーっと自分の寝室に忍び込んでベッドに潜り込んだ。ナムさんの鼻歌は続いている。(このまま気づかずに帰ってくれ…)息を殺して祈っていたが、その内に浴室から出て来た気配。もしかしてハダカ?どうもこちらに向かってくるみたい。ドアに手がかかった。「助けてくれーっ!」


  おおにし・けんいち 福井県生まれ。83―87年日商岩井釜山出張所長、94年韓国日商岩井代表理事、2000年7月から新・韓国日商岩井理事。04年4月、韓国双日に社名変更。