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2007/08/03

<随筆>◇太陽がいっぱい◇ 産経新聞 黒田勝弘 ソウル支局長

 韓国社会には過去の日本統治の影響もあって、日常生活に結構、日本語が残っている。タマネギ、ワリバシ、サシミ、モチ、(電気の)タマ、サシコミ…。例えば駐車場で車を移動させながら「イッパイ、イッパイ…」などと言っている。ぎりぎりまでバックさせてもOK、といったような場面である。

 ベントウなどという日本語もよく使われていたが、最近はあまり耳にしない。近年、韓国では「トシラク」という言葉に変わっているが、以前、板門店で北の記者たちがしきりに「ベントウ」といい、逆に「トシラク」に首をかしげていたのは面白かった。

 最近、健康食品として人気の日本のナットウも、当初はテレビなどが言語ナショナリズムを発揮して「これからは“セン(生)チョングクチャン”と言いましょう」と注文をつけていた。

 チョングクチャンは日本のナットウよりさらに発酵が進んだもので、かなり臭いがきつい。韓国ではこれを味噌汁にして食べるのだが、ナットウはそれより生っぽいので「セン(生)」がついたというわけだ。しかしこの言い換えは定着しなかったようで、今やみんな「ナットウ」といっている。外来食品はエキゾチックな名前であってこそ、人気が出るというものだ。

 ワサビもそうだ、醤油を使う日本風刺し身の食べ方が広がることで一般化したが、やはりテレビの奥様番組では「コチュネンイ」などと言い換えをやっている。しかし刺し身にはやはりワサビであって、刺し身を食わせる店で「コチュネンイ」などというのは聞いたことがない。刺し身はワサビであってこそうまいというものだ。

 以下は逆に韓国語も頑張っているという話である。韓国に長く住んでいても、それまで知らなかった単語に出くわすと関心したり感動する。例えば以前、韓国人との間で映画の話になり、アラン・ドロン主演の名作「太陽がいっぱい」のことが出た時もそうだ。この映画のタイトルを韓国語で何といったか?

 「テヤンイ、カドゥギ」というのだ。「テヤンイ」は「太陽(テヤン)が」だから「カドゥギ」は「いっぱい」という意味だ。なるほど「カドゥギ」とはねえ。この韓国語訳を聞いた時は何かしら感動した。

 この印象的な「カドゥギ」はその後、ガソリンスタンドで車に注油してもらう場面にも登場し、さらに感動(?)した。ガソリンを満タンにしてくれという時に、韓国人たちは「カドゥギ!」というのだ。これを知り合いの日本外交官に教えてあげたところ、大いに喜ばれ愛用しているとか。

 「太陽がいっぱい」の季節に「カドゥギ」をあらためて思い出している。ぼくはこのお気に入り韓国語を「サランイ、カドゥギ」つまり「愛(サラン)がいっぱい」に使いたいと以前からチャンスをうかがっているのだが、残念ながらまだその機会がない。


  くろだ・かつひろ 1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者を経て、現在、産経新聞ソウル支局長。