ここから本文です

2007/07/13

<随筆>◇帽子のことなど◇ 崔 碩義 氏

 このところ、私は柄にもなく白磁とか、ノーネクタイの話、囲碁についての駄文をこの欄に書いてきた。さらに今回は、それに懲りずに「帽子」を話題に取り上げることにした。私はこうした身辺雑記の類いや、周辺の生活雑品などを細かく観察して記録に留めることも、決して無意味なことではないと考えている。

 さまざまな道具や文房具、あるいは帽子、靴などの装身具は、人間の歴史と深く関わってきた。例えば、昔の支配者は、金銀宝石を散りばめた王冠をかぶり権威の象徴としてきたし、女性が履くハイヒールの起源だって、路上に散乱する汚物を避けて通るために考案されたものといわれる。また、中国の文化大革命のとき、紅衛兵が実権派や文化人に三角帽子を強制的にかぶせて、市中を引き回したのは周知の事実である。

 一口に帽子(シャッポ)といっても千差万別で、ベレー帽もあれば、パナマ帽、麦わら帽、学生帽、最近よく見るサファリといろいろである。朝鮮の放浪詩人金サッカがかぶって歩いた竹で編んだ笠だって帽子に違いない。最近は世界的に、軍隊や警官のいかつい制帽がやたらに目に付く。そもそも帽子の効能は、一般的にいって、頭の保護、直射日光を避けるとか、防寒のため、または頭の禿げや白髪を隠すためと考えられる。だが、ひとたび淑女がファッションとしてかぶる場合、その容姿を一層際立たせる役割をするのはいうまでもない。ところで、ひと昔前までは、たいていの男性が帽子をかぶっていたという記憶がある。しかしその後、社会的に帽子離れが急速に進み、今では中折れ帽をはじめ、大学生のかぶる角帽などは滅多に見られなくなった。

 私はこれまでシルクハットだけはかぶった経験はないが、結構いろんな帽子をかぶってきた。そして現在は鳥打ち帽をもっぱら愛用している。どうして又、鳥打ち帽なのかと問われれば困るが、何となくそうなってしまった。かつて、写真で見た金素雲の鳥打ち帽姿の格好よさに魅せられたというのが、案外当たっているかも知れないが。今では自慢するわけではないが、自宅の押入れに数ダースもの鳥打ち帽を持っている。

 さて、みなさんに帽子党になれ!とまではいわないが、たまには気分一新のために、おしゃれで、気のきいた帽子をかぶってみてはいかが。

 帽子といえば、二人の奇人のことが思い浮かぶ。かつて京都に住んでいた金又培(キム・ウベ)氏は「我が輩の前では帽子を取れ」と豪語し、いつも不敵な面構えをしていた。彼は三高を出た秀才で、一時、大阪大学理学部に通っていたが、欲求不満が嵩じてその後、何故か、消息を絶った。

 朝連時代、音楽活動家だった張飛(チャンビ)先生はいつもベレー帽をかぶっていたのが印象的。彼ほど全国各地を駆けずり回り、同胞たちから愛された人も珍しい。当時、張飛先生は誰彼なしに酒と煙草をせびり、コーヒを飲ませろとたかったものだ。


  チェ・ソギ 在日朝鮮人運動史研究会会員。慶尚南道出身。最近の著書に『黄色い蟹 崔碩義作品集』(新幹社刊)などがある。