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2007/04/13

<随筆>◇白磁大壺礼賛◇ 崔 碩義 氏

 私は最近、韓国に行くたびに各地の博物館や美術館に出来るだけ足を運び、李朝時代の絵画や白磁類を見て回ることを楽しみにしている。

 昔の有名無名の芸術家たちの営為の結晶ともいえる名品の数々を鑑賞するたびに感嘆することがしばしばである。そこで今日は、白磁の素晴らしさについて思い付くまま述べてみたい。

 なかでも印象に強く残る白磁といえば、ソウルの国立中央博物館にある俗称「月のハンアリ」(17世紀)と愛称される白磁大壺であろう。初めてこのハンアリ(壺)と対面したときの感動を今でもよく憶えている。

 陳列室に入り、ガラス越しにその乳白色の大壺を見た瞬間、丸い壺があたかも夜空に浮かぶ満月のように浮かび、ほのぼのとした気分にさせられたのだから不思議であった。

 この白磁大壺の美しさは言葉ではとうてい表現できないだろう。表面はどこまでも丸くて清楚、風韻さえ感じる。しかも虚飾のない素朴な味わいが何ともいい。その上、壺全体から調和の妙、豊満な女性の体温のぬくもりのようなものまで伝わって来るのであった。

 こうしたことから私はすぐにはその場を去り難く、角度を変えて何度も何度も白磁大壺を舐め回すように観察した。すると何故か、急に私の口から「ふぅー」という溜め息が洩れた。

 ところで白磁の壺は、必ずしも完璧な球形を必要とせず、また多少の瑕、歪み、染み、あるいは無骨な形なども許容されるという特徴をもっている。絵付けなどにしても、魚や虎などを稚拙な筆付きで描いたものでも愛好される。すなわち白磁は庶民の実用品でもあったのだ。

 断っておくが、私は白磁についてさも造詣でもあるかのような口ぶりで話しているが、本当は初心者の域を出ない。だから馬脚を現す前にこの辺で止めて置くのが賢明だろう。

 余談だが、白という漢字の起源が、人の首のされこうべの象形から来ているということは案外知られていない(『字統』平凡社、白川静編)。

 韓国人がその白色に郷愁を覚え、敏感に反応するというのは、過去に、白衣民族と呼ばれてきたことと無関係ではないだろう。京都の故鄭詔文氏は、街の骨董店で見た白磁の壺の美しさに魅せられて、後に高麗美術館をつくった話は有名である。

 在日の呉炳学画伯の画集にある一連の白磁の絵は、力強いタッチで描かれた作品として評価が高い。画伯はこれを世田谷の静嘉堂文庫美術館に通って描いたと聞いている。

 日本でこうした優れた白磁の壺や瓶、皿を鑑賞しようと思えば、駒場の日本民芸館、大阪の東洋陶磁美術館、京都の高麗美術館などに行けば見られる。中でも穴場は熱海のMOA美術館という説もある。

 過去の日帝の植民地支配という歴史的経緯から数多くの李朝白磁を含む貴重な民族文化財が、日本に存在しているのである。


  チェ・ソギ 在日朝鮮人運動史研究会会員。慶尚南道出身。最近の著書に『黄色い蟹 崔碩義作品集』(新幹社刊)などがある。