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2007/03/30

<随筆>◇東大門球場の悲哀◇ 大島 裕史 氏

 高校野球の聖地・甲子園球場は、原形をできるだけ保存する形で全面改修されることになり、既に一部で工事が始まっている。一方、韓国の甲子園とも言うべき、ソウルの東大門野球場は、この秋取り壊されることが決まった。

 東大門野球場は日本の植民地時代であった1925年、京城運動場として建てられた。解放後はソウル運動場と名を改め、58年に2万人規模を収容する今日の姿になり、82年にソウルの江南に蚕室野球場が建てられると東大門野球場と改名された。蚕室野球場が完成するまでの間、東大門野球場は韓国野球の中心地であり、その後もアマチュア野球の球場として韓国野球の発展を見守ってきた。

 73年、日本高校選抜のエースであった江川卓が韓国選抜の兪大成にホームランを打たれたのも、この球場である。これは、当時怪物と言われた江川が高校時代に喫した唯一のホームランであり、日本の野球人にとっても思い出深い球場である。

 私も幾度となく、東大門野球場で試合を観た。何と言ってもロケーションがいい。東大門市場のど真ん中。衣類や食べ物を売る屋台をくぐり抜けると球場に着く。通りに面した球場内の通路からは、外の喧騒が、音ばかりでなく、においまでも伝わってくる。まさに庶民の暮らしの中にある球場である。

 しかし東大門市場一帯は、ここ10年ほどの間に急速に姿を変えた。90年代後半からミリオレなどのファッションビルが相次いで建てられ、若者の街へと変貌していった。アジア野球選手権の優勝の褒美として、朴正煕大統領が建てさせた6基の照明塔の明かりは、かつては一際目立っていたが、今では、周りのビルの明かりに埋没している。

 さらに清渓川の再開発で、鍾路から東大門一帯の姿が大きく変わろうとする中、ついに東大門野球場の場所も公園などに生まれ変わることになった。都市の中心部に野球場は相応しくないという論理である。

 日本でも、大阪の南海電鉄・難波駅前にあった大阪球場など、数多くの球場が取り壊されている。日韓ともに野球ファンの愛着も、都市開発の前には無力である。

 ただ東大門野球場撤去を報じる韓国の報道をみて、それにしてもと思ったのは、球場の歴史が理解されていないことである。ソウル市の資料では、球場が建てられたのは、全面改修の翌年の59年になっている。それ以前は、サッカーの試合などを行う京城運動場で野球をしていたという記事もあった。実際には25年に建てられた京城運動場は、陸上競技やサッカーなどを行う総合競技場と野球場の2つから成っていた。そして59年以前にも、韓国野球史を彩る幾多の名勝負が繰り広げられた。

 撤去にも相応の理由があるのは理解するが、歴史の重さを理解されずに壊される野球場の運命は哀しい。


  おおしま・ひろし 1961年東京生まれ。明治大学政経学部卒。93~94年延世大学語学堂に留学。「日韓キックオフ伝説」で96年度ミズノスポーツライター賞受賞。近著に「韓国野球の源流 玄界灘のフィールド・オブ・ドリームス」(新幹社)。