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2007/03/09

<随筆>◇懐かしい言葉◇ 朴 性守 氏

 昔、李恢成氏が芥川賞の受賞の折のべたことばの中に、つぎのような一節があったことを記憶している。

 「子供のころ母親から、お前はジョジョとかヨポとかよくいわれたが、今もその意味がよくわからない」

 当時わたしは、氏のような作家がほんとうにわかっていないんだろうかとおもったが、異国で生まれ育った氏であればそうかもしれないと、その後思えるようになった。

 ジョジョは三国志の英雄曹操のことである。智謀のかたまりのような人である。ヨポは曹操の敵手、天下無双の槍の達人呂布を指す。子供がこの両雄にたとえられることは、この上ない栄誉である。李恢成氏が幼少のころ、いかに怜悧で弁舌さわやかな子供であったか想像がつく。

 それとは反対に、わたしは戦後帰国したてのころ、大人や子供たちに、チュックとかドゥンシンといわれてからかいの対象になった。もともと若干のろまであるところに母国語が未熟であれば、そう揶揄されてもむりからぬことであった。

 わたしも小人閑居してなんとやらで、こどものころ韓国でよく耳にしたいくつかのことばをなつかしくおもいだすようになった。チュック、ドゥンシン、ジョンジ、トンシ、ミグムなどである。しらべてみるとチュックは蓄狗つまり犬のことをいう。ドゥンシンとは等身つまり等身大の木偶のことだ。どちらもバカという意味だ。人間にもっとも忠実な飼い犬と村の安寧を祈る木偶をなぜバカの代名詞にしたのか、韓国人の発想のおもしろさだ。

 ジョンジは辞書によると全羅道、慶尚道地方の方言で台所のことをいう。漢和辞書には鼎厨となっている。字づらからすると王侯貴族の家の厨房のような感じがする。

 さて、トンシが便所のことなのはわかるが、その語源がわからない。十余年の間機会があるごとに、韓国の著名な国語学者や文学者らに聞いてみたが、死語に近い方言として反応はつめたかった。それが最近になって偶然わかったのだ。ある日図書館で大漢和辞典(諸橋轍次著)をめくっていたら、その字が目に飛び込んできたのである。

 「東司 禅寺で厠のことをいう」。つまり禅宗とともに輸入された中国語で、中国音トンスがトンシに訛ったと推測できる。わたしはさっそくこの”大発見”をソウルの友人に報告して、たいへん褒められた。

 それにしても今や死語同然のジョンジやトンシが本来たいへん雅な言葉であったものがどうして、ひなびた地方の、しかも普通の人が口にできないほど汚らわしいことばに転落してしまったのか、と思うと悲しくなる。

 最後にミグムのことだが依然宿題として残っている。埃や塵を意味する方言である。わたしの推理では、もしかしたらこれもトンシのように禅宗と関係があるような気がする。機会があれば禅宗の高僧にきいてみたい。


  パク・ソンス 1936年山口県生まれ。ソウル大学校中退後、明治学院大学文学部卒業。ニューヨークで4年間遊学。現在、著述業。