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2008/10/10

<随筆>◇カレンスキー頑張ってます◇ 韓国ヤクルト共同代表副社長代行  田口 亮一 氏

 8月25日からモスクワに行ってきましたので、「社会雑学的に見たモスクワ・・・」として話をすすめさせて頂きます。
 
 今回の目的は当社が展開しているロシアでもインスタントラーメン販売が好調なため、第2工場の設立が焦眉の急となり、その打ち合わせの為にカプチャギ(急に)渡露することになったものです。ここで当社のラーメン、ロシア進出の経緯を簡単に述べますと、15年くらい前から釜山とウラジオストック間の船便で、それこそポッタリチャンサ(担ぎ屋商売)として始めたのですが、徐々に全ロシアに拡がり、現地販売法人をつくり、モスクワ郊外に広大な工場をも持つようになったものです。

 国家規模の企業進出は別として、我々のような一般企業の進出には経済マフィアの存在あり、ありとあらゆる規制らしきものの制約ありと、ロシアでの商売には言葉につくせない困難が立ちはだかっていました。そんな中、当社のラーメン事業はその困難を根気よく要領よく(ここ重要です)突破し、第2工場設立、ロシア全土のラーメンシェア50%という業績を残しているのです。ここが「カレンスキー頑張っています」「ヤポンスキー少し手間どっています」といわれる由縁です。ちなみにカレンスキーは韓国人、ヤポンスキーは日本人のことです。

 まぁ、ザッとこういう事情で私とM理事のヤポンスキー2人がモスクワ訪問をした訳ですが、現地法人の崔社長はまじめな人で、しっかり長時間のミーティングと健全な観光も計画してくれました。それはそれでよかったのですが、私としてはやはりナターシャ(10代後半から20代前半のロシア女性、何故かM理事はこう呼んでおりました。)と親しく話をして見たいナァーと思っておりました。
 
 ところが皆さん!ミドゥルスイッスムニカ(信じられますか)?モスクワには酒場のような遊興街は一切ないんですよ。アーッもうオッチョルスオプタ(どうしようもない)とあきらめていた最後の晩、夕食会の後、崔社長が数人の幹部カレンスキーと我々2人ヤポンスキーを「韓国ノレラド ハロ カシジョ(歌でも唄いに行きまっしょ)」と連れて行ってくれた所が、あるマンションの6階。周囲は閑静な住宅街。看板、ネオンなど一切ないところでマンション2室ブチ抜きの韓国風サロンだったのです。20人くらいの美人ナターシャから各自パートナーを選ぶのもソウルのサロンとトカッテヨ(同じです)。

 それからは言葉は通じなくてもウオッカ効果で身ぶり手ぶり、韓国歌謡の歌合戦。私は何とかもてようと思ってロシア民謡「走ぃーれトロイカー・・・」とやったのに誰も知らなくて、一人さびしく微笑んで引き下がりとんだKY一発でした。ラーメン事業の発展もさることながら、この隠れ酒場の存在で「カレンスキーやるもんだナァ」と感心した次第です。いろいろお世話になったモスクワのカレンスキー、ナターシャの皆さん、スパシーボ(カムサムニタ)でした。


  たぐち・りょういち 1943年満州国生まれ。東京都立大学人文科学部卒。69年ヤクルト入社、71年韓国ヤクルト出向。94年から同社共同代表副社長代行。