ここから本文です

2008/10/03

<随筆>◇風が吹けば桶屋が儲かる◇ 産経新聞 黒田勝弘 ソウル支局長

 今から二六年前にスタートした韓国プロ野球の開幕戦は実にドラマチックだった。今でもよく覚えている。ぼくはこの試合をテレビでみたのだが、歴史的な開幕第一戦は「MBC青龍」と「三星ライオンズ」だった。七対七で延長戦となり、十回裏に「MBC青龍」の李鍾道のサヨナラ満塁ホームランでケリがついた。

 こんな劇的な試合はやろうと思ってもなかなかできない。韓国プロ野球史の幕開けにふさわしい、実に面白い試合だった。

 この時、「MBC青龍」には選手兼監督で日本帰りの白仁天がいたが、彼はこの年、打率四割で首位打者になった。現在にいたるまで韓国プロ野球の四割打者は彼しかいない。

 その後、草創期の韓国プロ野球には日本の巨人や広島などで活躍した張明夫(日本での登録名は松原、のちに福士)投手もはせ参じた。彼は弱体の「三美スーパースターズ」で一シーズン三十勝の最多勝記録を立てたが、これもいまだ破られていない。こうみてくると、初期の韓国プロ野球はずいぶん日本にお世話(?)になっていることが分かる。

 ところでぼくは新聞記者の駆け出し時代、一九六五年から四年間、広島で過ごした。うち二年間はプロ野球取材をやらされた。広島カープがあったからだ。昼間は県警察本部や県庁を担当し、日が暮れると近くにあった広島市民球場に向かった。

 広島カープがまだ弱い時代で、カープが初優勝するのが十年後の一九七五年。この時、ぼくは東京勤務になっていたが、優勝決定の瞬間を取材するため志願して後楽園球場に出かけた。試合はカープが四対一で巨人を破り優勝を決めた。

 余談の余談だが、ぼくは広島時代に大洋ホエールズの佐々木吉郎投手とカープの外木場義郎投手の完全試合を目撃している。日本の野球担当記者でも完全試合を二度も“経験”した記者はいないのではないか。

 何が言いたいのかというと、ぼくはそれなりに野球に詳しいということです。だから今なお腹立たしいのは、北京オリンピックでの日本野球の惨敗ぶりだ。とくに星野監督の采配はでたらめもいいとこだった。大げさにいえばあれは“国辱モノ”である。星野監督が日本で袋叩きにされたのは当然だろう。

 ところがあの後、ソウルで日本人ビジネスマンたちと会食のおり、逆に「星野は愛国者だ!」との声が出た。理由は「星野のおかげで韓国は日本に連勝し、金メダルを取った」からだ。韓国野球が日本に勝って金メダルを取った結果、独島問題など韓国国民の日本に対する鬱憤はどこかに飛んでしまった。

 つまり星野監督は日韓関係改善に寄与したというわけだ。「風が吹けば桶屋が儲かる」式の話だが、これを聞いて野球好きのぼくの鬱憤もいささか癒された次第です。


  くろだ・かつひろ 1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者を経て、現在、産経新聞ソウル支局長。