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2008/09/12

<随筆>◇お年寄り電話相談◇ 韓国双日 大西 憲一 理事

 今日も通勤バスで姜先生に出会った。大柄な体をまっすぐに伸ばして、通勤客で込み合う車内に悠然として現れる先生は、ステッキを持ってはいるが79歳とは思えないしっかりした足取りで、最近では珍しい山高帽が似合う本物の紳士である。先生と言葉を交わしたのは数カ月前、偶々座ることが出来た私の近くに先生が乗り込んで来たが誰も席を譲る者はいない。すぐ傍に学生風の若者が座っていたが、狸寝入りを決め込んでいる(アリャリャ、これでは日本と同じじゃないか。儒教の国も変わったもんだ)。

 見るに見かねて、あまり若くないオジサン(小生)が席を譲ったが、「ありがとう」と流暢な日本語が返ってきた。頂いた名刺には「(社団法人)韓国老人の電話・事務局長」とある。「老人問題専門相談機関」と注書きがしてある。文字通り老人の電話相談係で、毎日、いろんな悩みで電話をかけてくるお年寄りの対応で大変忙しいとのこと。

 ――どんな電話が多いですか?

 「やっぱり家族関係、特に嫁姑の問題ですね」

 「でも、どんな問題も解決策があります。相手の立場になって考えてみるのです」

 「例えば嫁がご飯を焦がした場合、姑は怒ってはいけません。丁度、お焦げを食べたかったと言えば丸く収まります。韓国ではお焦げもヌルンジと言って立派な料理ですから」

 「今日はどんな電話がかかって来るか楽しみです」。

 軽くウインクして、姜先生は崇礼門駅で飄々と乗り換えて行かれたが、どう見ても79歳には見えない。

 後日、姜先生とゆっくり話をする機会があった。先生は昔、機械部品メーカーを経営していたが、IMF危機の時に60億ウォンの不渡りに会うなど大変苦労され、それが良き人生経験になったという。1945年の終戦時は15歳で中学5年生。どうりで日本語がペラペラなわけだ。月並みな質問をしてみた。

 ――日本時代は苦労されたと思いますが、日本人への怨みはありませんか?

 「何もないですよ。全て歴史の一コマです」

 「日本人とも、その後から来た米国の軍人とも付き合ったがみんな同じ人間です。個人個人はみんな良い人です」 

 淡々とした口調だが、いろんな修羅場を経験して来たであろう先生の語りには重みがある。

 話題を変えて、先日のバス車内の話をした。

 ――韓国はお年寄りを大事にする儒教の国と聞いてますが、若者も変わりましたね?

 「もう、ムチャクチャです。これだけは、日本の文化を習ってほしくないのですが…」

 悪戯っぽく得意のウインク。軽く1本取られました。


  おおにし・けんいち 福井県生まれ。83-87年日商岩井釜山出張所長、94年韓国日商岩井代表理事、2000年7月から新・韓国日商岩井理事。04年4月、韓国双日に社名変更。