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2009/01/23

<随筆>◇オンニ、プタックヘー!(おねーさん、お願いーっ)◇                                                                                                  韓国ヤクルト共同代表副社長代行 田口 亮一 氏

 世界同時経済危機の嵐は、韓国はもちろん、日本でも大打撃を与えているようです。ところが国の経済実情を表す指標、統計などを見ていますと、韓国の方がもっと不況に対して大騒ぎをしても良いと思いますが、こちらの報道などを見ても余り実感が沸いてきません。勿論米ドルや円に対してのウォン安のことや、今年の年間成長率が2%前後に下方修正されたことなどから漠然とした不景気予想はされても、韓国の報道を見ても企業の派遣社員切り、内定の取り消しなどはまったく報道されないし、ましてや日本での年末年始にここぞとばかりに報道の中心となった派遣村のことなど一切見ることはできませんでした。
いつものようにウェー、クロルカ?(なんでかな?)と考えてみました。

 例えばこんな実話があります。98年の韓国金融危機のとき、人員整理によってある大企業の部長さんが首を切られました。何日かは家族にも言えず隠していたのですが思い切ってその旨を家族に告げたところ、彼の奥さんは開口一番「ヨボォ、ケンチャナヨー、(アンタ、かまいませんよ)今後のことはゆっくり考えることにして、取りあえず景気づけに皆で旅行でもしましょう」と言って、当時流行していた東南アジア一周旅行に家族全員で行ってきたとのことです。日本ではチョルデロ(絶対に)考えられないことです。

 また、不景気になると、と云うより国全体が貧しかった70年代には、「オンニ、プタックへ(お姉さんお願い)」のひと言で、1カ月くらいオンニの家に居そうろうというのは、ごくごく一般的なことでした。お断りしときますが、この場合のオンニは実姉のことではなく、学校の先輩、職場での先輩、他に隣近所やお風呂で良く会うオンニ、あらゆるオンニの世界で自然に通用していることでした。最近はさすがにそこまでのことはありませんが、その風習はしっかり続いています。そしてそのオンニの家族、旦那さんも黙ってそれを許しているのですから、これはもう全員でNPOの救援活動をしていることに相違ありません。

 私は今、日本でのあの騒ぎを見るにつけ、住むところも職もなく、もちろんお金もない人達には故郷はないんだろうか、親類は誰も居ないんだろうか、そして韓国のオンニ世界とまでは言いませんが、先輩、後輩、友人はいないんだろうかとつくづく疑問に思います。もし本当に誰も居ないのであれば、それは昭和中期までは、日本にもあった「オンニー、プタックへー」式の故郷、親類、隣人、友人をひっくるめた大きな意味の人間愛の喪失に他ならず、これはとりもなおさず政治、教育の大きな責任だと断言できます。

 オッチェットゥンガネ(いづれにしても)日本の年末年始の報道はいたずらに国民の不安をあおるばかりで、我が国のことながら嫌悪、失望の念を禁じ得ませんでした。いつもいつも耐え忍んで有備無患をはかることも大切ですが、それよりもっと大切なことは、有事の時に「オンニー、トワジョー(おねえさん、頼んますよう)」的に生きていける社会、環境を作っていくことだと思います。


  1943年満州国生まれ。東京都立大学人文科学部卒。69年ヤクルト入社、71年韓国ヤクルト出向。94年から同社共同代表副社長代行。