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2009/03/06

<随筆>◇ピマッコルよ アンニョン◇ 産経新聞 黒田勝弘 ソウル支局長

 韓国も経済危機で不景気だというのに、どういうわけかソウル都心での都市再開発事業だけは盛んだ。いや、不景気だからこそ建設事業で景気浮揚ということだろうか。

 ソウルの観光ポイントの一つ、仁寺洞(インサドン)の入り口にあたる安国洞(アングクトン)ロータリーの韓国日報ビルは今、建て直しの大工事中だが、隣接する日本大使館の薄汚いボロビルだけを残し、この一帯の古い建物はみんななくなってしまった。一帯は再開発工事の塀が巡らせてあって、昔の面影は何もない。

 このあたりを中学洞(チュンハクトン)といい、路地をはさんで国税庁のある寿松洞(スソンドン)、曹渓宗(チョゲチョン)の本山・曹渓寺(チョゲサ)もある。そして鍾路(チョンノ)区庁から光化門交差点にかけてが清進洞(チョンジンドン)。アメリカ大使館もある。

 ぼくのこのあたりの経歴は三十年になる。日本大使館のほか、現在の国税庁の場所には一九八〇年まではマスコミの「合同通信ビル」があり、ここには「ソウル外信記者クラブ」もあった。以前は日本系マスコミの支局はほとんどこの一帯にあった。というわけでぼくはこのあたりの路地裏には昔からよく通じていたのです。

 ところが再開発の波はついにここまで押し寄せ、今やソウル都心の路地裏名所だった清進洞は風前の灯火だ。韓国通の日本人たちに愛された在日系「ソウル観光ホテル」は今やなく、二十四時間営業だった名物汁飯の「ヘジャンクック」通りも撤去へ。

 光化門交差点にある教保ビルの裏あたりは再開発は少し遅れそうと聞いていたが、ここも年明けとともに撤去が始まった。工事の塀がはりめぐらされ、残る店は「あと何ヶ月」といって細々と営業している。

 そうした急変事情も知らず、比較的新しい日本系居酒屋で、日韓双方のサラリーマンに人気だった路地裏の「伊万里」に久しぶりに出かけてみたところ、すでに店仕舞いの張り紙がしてあった。

 何といっても残念なのは「ピマッコル」がなくなることだ。教保ビルのすぐ裏、その昔、つまり李朝時代のことで、光化門のあたりを威張りくさった高官が馬に乗って通るのを庶民が避けるため逃げ込んだ路地、つまり「馬を避ける路地」として生まれたという由緒ある路地裏だが、これもなくなる。

 「ピマッコル」については拙著『韓国を食べる』(文春文庫)を含め、ぼくは「文化財」として繰り返し保存論を主張してきたが、当然、何の効果もなかったわけですね。しかし結果的にはぼくの本は、「ピマッコル」と清進洞路地裏についてのある種の歴史的(?)記録になるわけで、もって瞑すべきか。

 行きつけの「ピマッコル」の焼き魚屋「大林食堂」もやがて消える。先日、さびしさにかられ(?)昼飯に走ったところ、女主人の「マツコ(本名・石松子=ソク・ソンジャ)」様がこの日も忙しく軒下でサバやサンマ、サワラを焼いていました。この風景もあとわずかとか。アンニョン、ピマッコル!


  くろだ・かつひろ 1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者を経て、現在、産経新聞ソウル支局長。