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2009/06/26

<随筆>◇出会いの頃◇ 姜 玲子さん

 私が韓国語と出会ったのはいつのことだったのだろう。私の母は二世。父は一世だが、小さいときに親に連れられて日本に来て、国の記憶もほとんどない。日本の小学校に入ったというから、二世に近い人と言えるだろう。二人の会話は一〇〇%日本語で、だから残念なことに、私は韓国語とは縁の薄い育ちをした。

 両親は在日大韓基督教会というキリスト教の教会に通っていて、そこで出会い、そこで結婚式を挙げた。私も幼い頃から、毎週日曜は両親に連れられて教会に通った。そこでは牧師先生の説教も、会衆の歌う賛美歌も、お祈りも韓国語である。ハングルで書かれた聖書の言葉が壁に貼られていて、私はそれを眺めてはおもしろい形の文字だな、と思っていた。子どもたちの教会学校だけは日本語の聖書、賛美歌だったけれど、時々は韓国語の歌も歌った。教会学校の教師が模造紙に手書きでハングルの歌詞を書いたものを用意してくれていたが、それにカタカナのふりがながついていて、私達はそれを見て歌った。意味も分からず歌っていたけれど、そのカタカナのままに覚えている一節もある。

 ♪アイドゥレ トンムヌン ヌグニョ ヌグニョ/アイドゥルル パンギヌン ウリ イェスニム♪

 今の私は、そのカタカナの記憶からハングルで書き直してみることもできる。ああそういう意味だったのか、と理解できる。

 (子どもの友は誰?誰?/子どもを好きなイェス様)

 牧師先生の説教やお祈りも、何を言っているのかはさっぱりわからなかったけれど、お祈りの仰々しいリズムというか、雰囲気は覚えている。語尾にやたら「イッサオンナイダ。」とか「ハオプシゴ、・・ハオプソソ、・・ヘジュンギパラムニダ」というのが多かった。それも抑揚をつけながら最後はリタルダンド(次第におそく)しながら言うのだ。

 ところが最近、韓国ドラマ「チャングムの誓い」を観ていて、懐かしいそんな言葉遣いを聞くことができた。登場人物達が王様を相手に話すときには、この言葉遣いなのだ。なるほど、お祈りは神様を相手に話すのだから、王様を相手にするように、とびっきりの敬語を使っていたということなのだろう。普通に韓国語を学んでいてもこんな最上級の敬語にお目にかかることは滅多になかったが、そういうわけだったのか!と納得することができた。

 さて私が生まれたとき、祖父母はそう遠くもないところに住んでいて、私がものごころつく前に亡くなった母方の祖父は、私を大変かわいがってくれたそうだ。では、その時赤ちゃんだった私の耳は祖父や祖母の話す韓国語を聞いたりもしたのだろうか。思い出そうとしても思い出せないけれど、私の心のどこかにそんな片鱗でも埋もれていてくれたらいいなと、今は願っている。


  カン・ヨンジャ 1956年大阪生まれ。在日2.5世。京都大学大学院文学研究科東洋史学専攻、修士課程修了・博士課程学修退学。小学校非常勤講師。京都市人権文化推進懇話会委員。メアリ会(京都・在日朝鮮人保護者有志の会)代表。著書に『私には浅田先生がいた』(三一書房、在日女性文芸協会主催第1回「賞・地に舟をこげ」受賞作)