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2009/10/02

<随筆>◇新・行政都市の行方◇ 産経新聞 黒田勝弘 ソウル支局長

 中部の忠清南道に計画されていた新・行政都市構想が、建設を続けるかどうかでもめている。盧武鉉・前政権時代に建設が始まったのだが、李明博政権になって首都圏の過密現象解消などその効果に疑問が出され、再検討論が出ているためだ。

 盧政権のこの構想は当初、新行政首都計画として登場した。しかし憲法裁判所が、国民の意見を聞かずに一方的に新首都を作るのは憲法違反としたため、途中から行政都市に計画を変更。一部の政府機関だけを移転すると、忠清南道の大田市に近い燕岐・公州地域に建設を始めた。市の名前も「世宗市」と決まっている。

 五年の任期中に急に「新首都建設」を言い出し、政府機関の移転を前提とした新行政都市の建設に着手するあたり”拙速”もいいところだが、いったん建設が始まっているのを途中で変更というのも大変だ。日本で政権交代によってダム建設を中止するのとは、規模も影響も格段に違う。以前から大田市には一部政府機関が移っているのだから、大田市の活用でいいではないかと思うのだが、さて、すでに土地造成など建設が始まっているのをどうするのか。

 ところで「行政首都」というのは各国に結構ある。たとえばブラジルの新首都ブラジリアは有名だし、オーストラリアのキャンベラや南アのプレトリアなどもそうだ。インドのニューデリーも、昔からの古い都市デリーに対しイギリス植民地時代に新しく作られた新都市と聞く。

 日本が戦前、満州の地に作った満州国の首都・新京(現在は長春)も、満州族の中心で清王朝発祥の地である古くからの奉天(現在は瀋陽)とは別に建設された新首都だった。そこで気がつくのは、日本は昔、韓国を支配した際、ソウルとは別になぜ新首都を考えなかったのだろう。そうすれば景福宮の前面に総督府ビルを建てて、末代にまで恨まれるなどということもなかったろうに…。

 以下は仮説だが、歴史的にソウル中心の極度に中央集権的な韓国では、統治・支配にはやはりソウルを支配する必要があったということだろうか。

 韓国は現在、人口の半分近くがソウル首都圏に集中している。ソウルのみならず、京畿道をはじめソウル近郊の都市化はものすごい。そしてどうやら韓国には田舎はあっても“地方”はないようにみえる。これが韓国の伝統的な国家構造なのかもしれない。そこでは地方自治とか地方分権は歴史的に経験もないし、あまり意味がないのだ。となると、中央集権的で極度の首都圏集中というこの構造を生かした国家運営の方が、より効率的ということにならないか。

 韓国が集中度の高い国というのは最近、津波映画『海雲台(ヘウンデ)』がまたまた観客動員一千万人突破でもいえる。何事にもこうした集中力を活用しない手はない。


  くろだ・かつひろ 1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者を経て、現在、産経新聞ソウル支局長。