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2009/12/04

<随筆>◇新村(シンチョン)の今昔◇ 産経新聞 黒田勝弘 ソウル支局長

 先日、ソウルの新村ロータリーで横断歩道の信号待ちをしていたところ、隣に立った中年のアジュモニ(おばさん)から「あら、クロダ記者ではありませんか?」と声をかけられた。とっさには誰か思い出せない。こんな時は「えーと、どなたでしたっけ?」などというのは失礼なので「いや、どうも、こんにちは…」などといいながら相手の様子を探り、瞬間的に記憶のコンピューターを作動させる。すぐにはピンとこなかったのだが、相手が「下宿の嫁(ミョヌリ)ですよ」といったので思い出した。

 一九七〇年代の語学留学時代、延世大学近くの新村で下宿していた時、その家の息子の嫁だった。ぼくがいたころは新婚で、時に下宿生たちの食事の準備などを手伝っていて、当時は家庭料理としては珍しかったカレーライスをつくってくれたことなどが思い出される。

 個人的には、前の晩、近くの飲み屋から連れ込んだアガシをぼくがいない間、昼まで寝かさせてくれて、ぼくが学校から帰った後、おもむろに“放免”してくれるなど、随分お世話になった。牧歌的ないい時代だったですねえ。

 その下宿はロータリーの裏通りにあって、一帯は今やラブホテル街になっている。彼女の家族は今も近くに住んでいるという。鉄道員だったお父さんは亡くなり、お母さんはまだ健在など、信号が変わるまで昔話に花が咲いたのだが、それにしてもあれからちょうど三十年。

 彼女は「ときどきテレビで見るのでソウルにおられるのは知っていましたよ」というのだが、それにしてもあんなところであんな人に会うとは、実に感動的だった。それに韓国人で同じあたりに三十年も住んでいるというのは珍しい。

 この偶然の出会いはぼくが近年、新村に住んでいるため可能だったといえるかもしれない。ぼくにとって新村は韓国体験の原点になっている。当時の下宿生活をレポートした『ソウル原体験』(徳間文庫)という著書もある。

 結局、ぼくのソウル暮らしは新村からスタートし、今また新村に戻ってきたのだ。付近に延世大、西江大、梨花女子大、弘益大など大学が集中している昔からの学生街だ。ただ昔に比べるとより若者雰囲気で騒がしいように思う。ぼくが歳をとったせいかな。

 ところでこの新村(延世大前通り)に最近、日本の国際交流基金ソウル日本文化センターがお目見えした。これまで中心街の光化門近くのビジネスビルにあったのが、若者街に引っ越してきたのだ。

 この発想はヒットである。高級なビジネスビルにおすましして居を構えているより、韓国の若者文化の発信地である学生街の方がはるかに効果的で実質的だろう。場所の利を生かしてぜひがんばってほしい。


  くろだ・かつひろ 1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者を経て、現在、産経新聞ソウル支局長。