ここから本文です

2009/04/10

<随筆>◇ハングルを勉強して◇ 康 玲子さん

 NHKのラジオ放送で「ハングル講座」を聴いて勉強している。3カ月~半年のサイクルでプログラムが用意され、多彩な講師陣によって多様な教材が提供されるので、飽きることなく様々な角度から朝鮮語を学ぶことができる。私はこれを録音しておいて何度でも繰り返して聴く。家事をしながら、運転しながら、また電車の中でも。いつでもどこでも勉強できるので毎日が楽しい。

 三〇年以上も前、私が学生時代に勉強を始めた頃のことを思うと夢のようだ。七〇年代、まだテレビやラジオに「ハングル講座」はなく、朝鮮語は学習しにくい言語だった。テキストは限られ、学生同士の学習会で先輩から後輩へ、発音はこれでいいのかしらと手探りのように学んだことを思い出す。
 
 今は教材や学習の機会が豊富にあるだけではない。学んだ言葉をすぐにまた生かすこともできる。韓国ドラマや映画を字幕なしで見てみる、韓国に旅行に行く、韓国から来た人と友達になる…。そうするとまた向学心は新たにされて、勉強を続けることができるのだ。

 実は学生時代に一時期集中して勉強した後、結婚してからは必要もなくふれる機会もないままに長らく朝鮮語の学習から遠ざかっていた。NHKのハングル講座が始まった時にはうれしくて勉強を再開してみたけれど、子どもが小さい頃だったからなかなか長続きしなかった。いつかはまた、という気持ちのまま何年もが過ぎた。

 そこへあの韓流ブームである。朝鮮語の学習者も飛躍的に増えたのだという。NHKのハングル講座のテキストは書店の片隅に数冊あるかないかだったのに、いきなり平積みにされるようになった。私もいつまでも「いつかは」ではいけない、再チャレンジの日が来たのだと思った。

 それが四年前のこと。以来、少しずつ焦らずにと自らに言い聞かせつつ、なんとか勉強を続けている。一昨年には韓国語能力試験六級(六級が最難)にも合格した。昨年韓国に行った時には、ガイドさんやタクシーの運転手さんとおしゃべりすることができ、夫の母にも娘達にもほめられた。でもそれで安心していると、またあっという間に実力は下がってしまう。若い日に比べて記憶力の低下は覆うべくもない。けれど、そんなことは気にしないことにしている。

 これは私にとって外国語の勉強ではない、母国語なのだ。ただ母語とは言えない、私の母も日本に生まれ育った二世だから。でも祖母達はこの言葉をしゃべっていた、その記憶は確かにある。そんな言葉と、今さらながらだけれど、つきあってみることができる。それがうれしい。だからどこかに到達したいというよりは、勉強を続けているというそのこと自体が大切なことだと思っている。そしていつかは、短期でもいい、韓国に留学できたら、と夢を描いている。


  カン・ヨンジャ 1956年大阪生まれ。在日2.5世。京都大学大学院文学研究科東洋史学専攻、修士課程修了・博士課程学修退学。小学校非常勤講師。京都市人権文化推進懇話会委員。メアリ会(京都・在日朝鮮人保護者有志の会)代表。著書に『私には浅田先生がいた』(三一書房、在日女性文芸協会主催第1回「賞・地に舟をこげ」受賞作)。