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2010/07/09

<随筆>◇「4・19世代」と「386世代」◇ 広島大学 崔 吉城 名誉教授

 日本に長く住んでも日本語が上達しないと感じながら韓国語の単語が思いだせないものがある。バイリンガーとはいえ中途半端になってしまうのではないか。

 いまバイリンガーを望んで子供に無理に外国語を教え込もうとする親が多いが、いずれも完璧な言葉にならない中途半端の恐れがあるだろう。

 韓国から離れて住んで韓国語の変化が異様に感ずるものも多い。オッパ(兄ちゃん)とは兄、あるいはその延長線でいとこや、またいとこに呼称として、あるいは擬似親族呼称として呼ばれることが普通であったが、女性の恋人、あるいは配偶者の呼称にもなっている。ジャギ(自己)という言葉が多く使われていたのに兄と恋人は区別し難くなった。

 チョクパリタとは「恥ずかしい」ことを意味する。私が調査研究した被差別集団の隠語にチョクとは「顔」を意味するのでそれが一般化されたのではないかと想像する。私には語感が悪い。

 「386世代」という非常にわかりにくい言葉がある。日本での「団塊世代」とかいうカテゴリーのような概念である。386世代とは1990年代に30代(3)で、80年代(8)に大学生で学生運動に参加し、60年代(6)に生まれた世代であるとう。

 簡単に言うと90年代に30代、つまり「80年代に20代」であった世代をわざわざ謎掛けるように表現したものである。ポイントは80年の光州事件から民主化運動が盛んな時期に民主化運動の闘士出身で、国家保安法違反での服役経歴の「熾烈なデモ」を売り物にするという。

 私はその世代によって韓国の民主化が進み、今日の韓国を作り上げたことに賛辞を送りたい。しかしその世代が「熾烈なデモ世代」というトレードマークを独占することに非常に抵抗感がある。

 私の世代はその世代より20年も早い時期、李承晩独裁政権を倒し、軍事クーデターにより長い軍事独裁政権の下、集会が許可されなかった時代に殺されるかも知れないという覚悟でデモをした世代である。4・19では186人が死亡、中には私の学科の4人の先輩も殺された。それでも肩を組んでデモを行った。ソウル大学、高麗大学、延世大学などがデモをして、最後に大学教授団のデモで李大統領が下野したのである。

 その後、金大中氏は希望の星であった。80年光州事件以後には危機状況は大分緩和した。その後のデモは小学生たちもするようにポピュラーなものであった。以前の知識人中心のデモは徐々に見世物的、大衆文化となって「ろうそくデモ」のような「美しい壮観」(?)の文化になっていった。

 私の世代からはこの世代が「熾烈だ」と叫ぶには絶対賛成できない。私は全斗煥政権に反対する大学教員による署名運動の中心となったことがあり、緊張したことはあっても前の時代に比べると大したことではなかった。

 私のような「4・19世代」からは「386世代」が自ら「熾烈さ」を自負することはほっとけない、憤慨する。


  チェ・ギルソン 1940年韓国・京畿道楊州生まれ。ソウル大学校卒、筑波大学文学博士(社会人類学)。陸軍士官学校教官、文化広報部文化財常勤専門委員、慶南大学校講師、啓明大学校教授、中部大学教授、広島大学教授を経て現在は東亜大学教授・広島大学名誉教授。