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2010/04/09

<随筆>◇韓国の海苔◇ 広島大学 崔 吉城 名誉教授

 韓国旅行から帰りに多くの人が持ってくるのが胡麻油と塩で味付た海苔である。日本人に好まれ、軽くて持ち運びの便宜さで多く売れると言う。それは今のことではなく、古く戦前からのことでもある。海苔は日韓を除いて、東アジアはもちろん、世界中に稀な例外を除いて韓国人と日本人しか食べないものである。ただ日本が醤油味に対して韓国は塩味の差はある。私はサハリンの朝鮮人は喜ぶと思って持っていったことがある。しかしそれを食べようとする人がいないのでショックだった。

 また彼らはイクラを海に絞って流し、食べることはない。私はイクラを多くもらって持ち込んだ韓国の海苔で包んで一時高級な(?)食生活をした思い出がある。おそらく日韓が独占的に共有する食文化としては海苔食が唯一であろう。

 日韓両国において海苔食の歴史は古い。高麗時代に中国の宋の徐兢が著した『高麗図経』に朝鮮の下層人が海の海草の紫菜を食べると述べている。中国人にとって海苔は異様な食物であっただろう。朝鮮でもそれは雑草のようなものであった。海苔は韓国語で「キム」という。語源は「雑草」の「キム」(方言ではジム)に因んだものである。つまり「海の雑草」が韓国人の好物になったのであろうと思われる。

 合併時代以降、莞島(ワンド)地方に品質のいい海苔ができるといって日本人が相当早くから渡っていった。木浦(モッポ)、麗水(ヨンス)、釜山(プサン)などの水産試験場などで良い海苔製造に努力した。海苔生産は西海(ソヘ)だけではなく東海岸地域では岩海苔が多く採れるようになった。昆布、ワカメ、あおさ、海苔など海藻を食べる文化は多くても海苔食の文化としては日韓が同一であることはどういうことであろうか。

 雑草から好物へ磨きあげた養殖の歴史がある。約700~800年前から海苔は養殖されているという。韓国では竹札で一番下を固定して中のほうを編み、一定間隔に丸太を立てて、海に水平に吊り、海水が満ちてきたら立ち上がり、潮が引いてきたら浮き出るように作る。裴樹奐氏(元群山大学校の教授)は海苔の養殖は韓国の方がもっと進歩したという。

 完成品の海苔の大きさは日本と韓国が異なる。日本は江戸時代に紙作りの技術の落とし紙トイレを使って海苔の形を作った。韓国の海苔のサイズ(300㍉と202㍉)は、寸で測ったもの、やはり紙作りのように水に溶かして竹簾の枠の中に入れて漉き上げて一枚ずつ作ったのである。

 去年、海苔の名産地の莞島に行って養殖している現場を撮って、最後に仕上げの過程を撮影するために味付け工場で社長の承諾を得て、撮影しようとする時ある社員が社長の面前で撮影拒否した。撤退して市内で食事中、社員に面子を潰された社長が我々の人数分の海苔を数箱持ってお詫びにきた。貸し切りマイクロバスに海苔がいっぱいになった。愛情深い社長のやさしい顔が印象に残っている。


  チェ・ギルソン 1940年韓国・京畿道楊州生まれ。ソウル大学校卒、筑波大学文学博士(社会人類学)。陸軍士官学校教官、文化広報部文化財常勤専門委員、慶南大学校講師、啓明大学校教授、中部大学教授、広島大学教授を経て現在は東亜大学教授・広島大学名誉教授。