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2010/08/13

<随筆>◇サランエミロ(愛の迷路)◇ 韓国TASETO 大西 憲一 専務理事

 夏休みと出版記念クラス会を兼ねて久しぶりに故郷の福井県に帰って来た。高校まで過ごした福井県の武生(たけふ)市は、今は越前市と名前が変わっている。越前の方が名前は売れているが私には慣れ親しんだ武生の方が愛着がある。

 同級生の女性が仕切ってくれた、本誌連載のエッセー集「ソウルは今日も晴れのち嵐」の出版記念臨時クラス会には懐かしい顔が揃っていた。正面のテーブルにデンと座っておられる白髪の老紳士が誰か想い出せなかったが、中学時代のM先生と聞いて懐かしさのあまり思わず抱きついた。厳しいM先生には何回か愛のビンタを食らって当時はずいぶん恨んだものだが、そのおかげで今があると思っている。M先生の隣には、エッセーでも登場頂いた小学校の恩師で最初の初恋の人、T先生が微笑んでおられた。T先生は新義州(シンウィジュ、北朝鮮)と京城(キョンソン、今のソウル)で青春時代を過ごされている。

 高校時代の野球部のH監督にも卒業以来初めて会ったが、今でも還暦野球部の監督として凛とした姿でグラウンドに立っていた。ノックこそ後輩に任せているが、ハリのある声は昔と変わらない。エース兼四番バッターとして甲子園出場の立役者だった友人のY君もすっかりオッサンになったが、今も監督の前では直立不動、青春がそのまま残っていた。

 「どこから来たんけの?」。久しぶりに会う故郷の母は今年で91歳。足腰がかなり弱って来たが口はまだまだ達者。でも、電話するたびに「いま何処にいるんけの?」記憶力がかなり怪しくなっている。「うまいこと書いとるね。おもっしょかったよ」。息子の本を誉めてくれた。「どこが面白かった?」「うーん。じぇーんぶ忘れてもたけど…」。

 クラス会でしこたま飲んだ後、気の置けない友人たちと街に繰り出した。4軒目に辿り着いたのは、街はずれの小さなカラオケ店だった。店に入るや否や、「らっしゃーい」威勢のいいママさんに迎えられる。発音がちょっと気になったので、「ホクシ、ハングップニセヨ?(ひょっとして、韓国人ですか?)「オットケ アラッソヨ?(どうして分かったの?)」久しぶりの韓国語に彼女の笑顔がはじけた。

 「何年か前に腹膜炎で死にそうになった時、彼に助けられたの。彼に一生ついて行くよ」隣にいる人の良さそうな初老の男を指さした。彼が嬉しそうに振り向いた。この店はカウンターに10人も座ればいっぱいの小さなスペースで、客の一人が歌いだすと全員が静かに聞いている。みんな、レベルが高い。ママの要求で80年代に流行った「サランエミロ(愛の迷路)」を歌う事になったが、このカターイ雰囲気にはマイッタ。サランエミロには自信があったが、緊張のあまり出だしからキーを間違えてしまった。みんな、息を殺して聞いている。困った、修正できない。完全にミロ(迷路)に入り込んでしまった。


  おおにし・けんいち 福井県生まれ。83―87年日商岩井釜山出張所長、94年韓国日商岩井代表理事、2000年7月から新・韓国日商岩井理事。09年10月より韓国TASETO株式会社・専務理事。