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2010/08/20

<随筆>◇南と北から見た板門店◇ 広島大学 崔 吉城 名誉教授

 板門店(パンムンジョム)が日本人の観光名所であることは、日本に移り住むことによってはじめて知った。韓国では南北会談などの報道によって知るのみであり、今だに自由に行ける所ではない。板門店あたりは自然の景色や優れた文化遺産があるわけでもないのに観光名所となっていることで、私は深い関心をよせていた。私の生まれ故郷は38度線に近く、激しい朝鮮戦争の後、休戦線で北朝鮮が多少遠くはなったが板門店はそれほど遠くない。

 2003年3月、同時期に南と北から板門店軍事停戦委員会が開かれる会議場に入って見た。つまりソウルから北へ板門店訪問した直後、北朝鮮の平壌から南へ板門店を訪ねたのだ。同じ青い会議場へ行く道はかなり異なった。その場に立って民族分断を痛感し、南北の態度を対照的に感じた。一番対照的なものは北朝鮮側では民族統一への熱意と素直な案内に対して、韓国側からは恐怖と緊張を含む商品化した観光であることが感じられたのである。

 ソウルから板門店へ向かうバスの中では、ガイドから38度線から休戦線にいたる説明に続き、服装規定があり、袖なしのTシャツなどの服装、作業服、あらゆる種類のジーンズ、半ズボン、ミニスカート、背中が見えるドレス、へその見える女性用の袖なし上着、肌が透けて見える衣類、シャワー用のスリッパなどは駄目、カメラは絶対出さないようになど、長く注意事項が述べられる。

 車窓からは鉄条網、立ち入り禁止、STOPの表示板が繰り返し見える。軍事分界線を南と北に2㌔ずつの非武装地帯DMZの中に板門店はあり、共同警備区域(JSA)がある。危険にさらされるということで宣誓に署名し、軍隊用の食堂で食事をし、帰らざる橋の付近では斧事件の説明があった。それは金日成将軍が植えたポプラの木を米軍が76年8月18日に剪定したので北朝鮮の軍人が怒って米軍を殺害した恐ろしい事件である。この事件で国連軍は2人が死亡し、国連軍4人と韓国軍4人が重傷を負った。北朝鮮側の被害は明らかにされていない。

ソウルから板門店へ行った時の緊張感がまだ解けていない2週間後に元山港着、平壌へ、そして板門店へ向かった。170㌔の走行中対向車はまったくなかった。ガイドは民族統一への願い、鄭周永氏の南北交流の話が主であった。写真を撮るのも自由であった。非武装区域に入るときは北朝鮮の軍人によってガイドされた。彼は非武装区域で南朝鮮側は武装化していると非難したこと以外には敵対感は感じられなかった。先々週南から北を眺めた時とはまったく反対で北から南を眺めることは特殊な体験のように感じた。

 植民地からの解放と38度線、朝鮮戦争によって作られた休戦線の唯一の窓口の板門店が悲惨な戦争と敵対する緊張を売る観光の対象になっている。景色や歴史的な文化遺産ではなく、南北の緊張を売る観光は皮肉に感じた。


  チェ・ギルソン 1940年韓国・京畿道楊州生まれ。ソウル大学校卒、筑波大学文学博士(社会人類学)。陸軍士官学校教官、文化広報部文化財常勤専門委員、慶南大学校講師、啓明大学校教授、中部大学教授、広島大学教授を経て現在は東亜大学教授・広島大学名誉教授。