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2011/02/18

<随筆>◇長寿社会を迎えた韓日に思う◇ 広島大学 崔 吉城 名誉教授

 日本は世界一の長寿国である。人類の最も普遍的な幸福の一つが長生きであるという点では日本に住む人は幸せといえる。長寿社会は社会福祉など総合的な結果であり、今、世界的に福祉に努力することは良いことである。しかし長寿は幸福ではあるが無理に寿命を延ばそうとすることは不幸になりかねない。高齢者が多い中、死を迎える態度も成熟していくべきである。私は昨年東京大学で開かれた現代韓国研究センター・アジアがんフォーラムのシンポジウムで、死を迎える心構えについて触れた。

 その日の午前中にはガンを専門とする医学者たちの非公開の発表会に参加した。日本のがん医療が世界的に優れているということを知った。午後のシンポジウムでは姜尚中教授の基調講演に続いて永六輔、真鍋祐子氏らとパネラーとして座談会に参加した。日本のがん医療が世界的に優れていることが解った。そして日本が世界的な長寿国であることもよく理解できた。人は近代医学の発展により、長生きしていること、そして生き延びることにかなり努力している。しかし、死を迎える死生観などは粗末に扱っていると私は思っている。持病を持っている私と永六輔氏と、その死生観を論じあったことは良かったと思う。

 韓国では人の命は喉と息であり、死ぬことを「息が越えていく」という。つまり呼吸すること、声を出すことが生きることである。韓国では人は歳を重ねていくうちに「老患」になり「臨終」となり、「天寿」を全うして「あの世」へという理想的な死に方がある。昔は認知症などと言わず、「マンニョン」と言った。それは老人の特性であり、病気とは認識しなかった。高齢で死ぬことは運命の「天寿」を全うしたということで悲しまず「好喪」といい、望んだ死に方であった。したがって事故死、戦死、自殺、「客死」(家の外で死ぬ)などは不幸の極まりである。

 しかし「天寿」にだけ任しておくのではなく、より長く生きる願望をもっていろいろと工夫した。道教の「不老長生」神仙信仰が流行り、「天寿」を変えて三千年も生きたという伝説や昔話も多い。

 高麗人参、ニンニク、漢方、民間医療、健康食品などに韓国人の関心は高い。最近医療も発展して平均寿命もかなり延びたという。延命的な医療、生体移植、脳死移植なども行われている。死を考える暇がないほど生きることに執着している。しかし人はどんなに生きるのに必死であっても死は必ずくる。死は普遍的なものと考え、迎えるための心の準備が必要である。

 下関映画祭を計画しており、私は林権澤監督の「祝祭」を推薦した。この映画は全羅南道の海岸村の「好喪」をドキュメンタリー式で撮ったものであり、日本の「お葬式」や「おくりびと」などと合わせてみていただき、考えるきっかけになればと思う。


  チェ・ギルソン 1940年韓国・京畿道楊州生まれ。ソウル大学校卒、筑波大学文学博士(社会人類学)。陸軍士官学校教官、文化広報部文化財常勤専門委員、慶南大学校講師、啓明大学校教授、中部大学教授、広島大学教授を経て現在は東亜大学教授・広島大学名誉教授。