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2011/04/29

<随筆>◇東日本大震災に際して◇  康 玲子さん

 3月11日午後、私はここ京都の家で、弱いながらも長い揺れを感じた。すぐにテレビをつけ、関東・東北地方に強い地震があったことを知った。津波のおそれがあるから沿岸地域の人は避難するようにとのニュースが流れていた。阪神大震災のような大規模な災害が起こったのだとは感じたが、その時点ではまだ、事の本当の重大性を理解することはできなかった。

 その後の津波による甚大な被害、原発事故による深刻な事態…それらは、ときにテレビ画面を正視していられないほどに、つらいものだった。でも自分に言い聞かせながら、私はニュースを見続けた。逃げてはいけない、これは現実なんだ、被災者の方々のことを思うなら、しっかり見て、考えなければ。その思いは、震災から49日を経ても変わることはない。

 だが、ただ報道で被災地の惨状を知るだけで何もできない自分の無力さを思い知らされるという意味では、やはりつらい毎日ではある。被災者の皆さんには、どうぞ少しずつでも元気を取り戻してくださいと、言葉を伝えたいけれど、こんな時に言葉が何の役に立つだろうと考え込んでしまう。

 すぐに東北へ行って何かお手伝いをしたいと願ってはみても、自分の持ち場があり、仕事があって、実際にはなかなかできない、という人はきっと多いだろう。募金に協力はしても、何かお金で済ませてしまったような後ろめたい気持ちが残ってしまうことも多いのではないか。

 私も何度もそんなことを思いめぐらしながら、でもまた、もし家族の誰かが病気になったら、と考える。私達はきっとその分をカバーするためにもっとしっかり働かねば、という気持ちになるだろう。だから、このたびもまず私達はそれぞれの持ち場で、今与えられている働きをしっかり続けなければ、と思う。そして、この災害を経て、防災にしてもエネルギー利用にしても産業のあり方にしても、新しい社会のかたちを構築していかなければならないのだから、私達も被災地と一緒にその歩みを始めなければ、と思う。一例にすぎないが、関西にいても、やはり節電には取り組みたい。被災地へ直接電気を送れるわけではなくても、今後の新しい暮らしのあり方を模索していくことが、復興の道すじを描くお手伝いにきっとなると思うからだ。

 そんなふうにして新しいライフスタイルを作り上げようとする生活の中で、被災地への救援金も生み出し、送り届けられたら、それはきっと生きたお金として働いてくれるのではないだろうか。

 そしてそんな暮らしを求めながら発する言葉は、決して無力なものではなく、被災地への連帯を作り出すものであるはずだ。言葉はきっとさまざまな行動を呼びさます。その始まりになってくれる。言葉のあるところには意志があり、意志のあるところに行動も生まれるのだから。


  カン・ヨンジャ 1956年大阪生まれ。在日2.5世。高校非常勤講師。著書に『私には浅田先生がいた』(三一書房、在日女性文芸協会主催第1回「賞・地に舟をこげ」受賞作)。