ここから本文です

2011/10/14

<随筆>◇映画『族譜』に込められたメッセージ◇ 呉 文子さん

 先日、「映画で語る韓日関係の深層Ⅱ―同化政策と創氏改名」が、東北亜史財団(韓国)と在日韓人歴史資料館の共催で韓国文化院ハンマダンホールで開かれた。
 
 この催しの案内を送ってくださったのは、在日五〇年史の記録映画『在日』の監督呉徳洙氏だった。呉監督には、「日本映画に描かれた在日」という演題でお話を伺って以来、折々にふれお知らせをいただいている。

 当日上映される映画が『族譜』(梶山季之原作)であると知り、巨匠林権澤氏が「大鐘賞」の監督賞を受賞したほどの作品でもあり、どのように描かれているかが期待され、ぜひ見てみたいと出かけた。

 この映画は、「内鮮一体」の美名のもと、朝鮮総督府が実施した創氏改名政策により、七〇〇年間脈々と受け継がれた族譜を汚されることに、死をもって抵抗した両班薛鎮英(宗家の長男)一家の誇りと挫折を描いた一九七八年の作品である。

 映画の結末は、家族だけを創氏改名し、主人公の薛鎮英は、朝鮮総督府の巨大な力の前に、次のような遺書を残して毒をあおる。

 「一九四一年九月二九日、日本知事に創氏改名を強要され、ここにきて薛氏の系譜が絶たれる。宗家の子孫として鎮英はこれを恥辱と思い、族譜とともに命を絶つ」

 この映画のメッセージがもっとも強く伝わってくる場面である。全編を通してテーマ曲「恨五百年」が低く静かに流れるなか、このシーンでは魂の叫びを象徴するかのように哀調帯びたパンソリが切々と唱される。自身の名誉と誇りこそ守ったものの、家族のために妥協せざるを得なかったハン(恨)を爆発させるように、「ハン多いこの世……」と大音響で迫ってくる。巨大な力の前でこのように屈辱的な決断をせざるを得なかった虚しさ、やりきれなさや挫折感がひしひしと伝わってくる。

 この映画は在日の私たちに何を問いかけているのだろうか。時代の流れの中で、在日の様相は目まぐるしく変化している。帰化者が年間一万人時代を迎え十年以上にもなる現在、在日にとって、国籍や姓名は、日本とどう向き合うのか、また民族とどう向き合うかの問題でもある。

 例えば「自然エネルギー財団」を設立した孫正義氏のような生き方は、この未曽有の災禍のなかで苦しんでいる日本社会に、希望を与えた稀有な在日といえるだろう。

 一様でない多様な在日が、日本社会で共生の道を探っている。

 在日一世紀を経たいま、『族譜』に込められたメッセージを、あの日の参加者はどのように受けとめたのだろうか。


  オ・ムンジャ 在日2世。同人誌「鳳仙花」創刊(1991年~2005年まで代表)。現在在日女性文学誌「地に舟をこげ」編集委員。著書に「パンソリに思い秘めるとき」(学生社)など。