ここから本文です

2012/02/10

<随筆>◇ マッコリ ◇ 広島大学 崔 吉城 名誉教授

 私はマッコリというと、母が家の祭祀や巫俗儀礼、農作業の毎に作っていたことを思い出す。それは密造酒であった。しかし農家では必須の飲料であり、「農酒」とも言われた。お茶文化のない韓国では客をもてなすのがマッコリ酒案床、つまりお膳に簡単なおかずとマッコリをのせて出していた。マッコリは農耕の暑い夏場にはヒョウタンで汲んで飲まれた。

 私が幼少の頃のオンドルの部屋には発酵醸造の壺が置いてあって、醗酵の進み具合によって臭いがした。台所の土間に埋めた壺に保存していた。それは保存であり、もちろん薪で隠すためでもあった。大韓帝国以来「酒税令」が公布され、醸造は申告制・課税対象とし個人の自家醸造を禁止していた。植民地時代に日本の警官が来て大掃除検査の時はかなり緊張していたことを覚えている。マッコリは戦後も密酒として製造が禁止されていた。マッコリの製造に免許が必要であっても農家では日常的に作っていたのが現実であった。

 当時、私が文化財専門委員をした時、韓国政府はマッコリを民俗酒として認定しようとした。韓国伝統酒として民俗文化財として指定すべきであると言われ、私は調査に出たことがある。釜山の金井山城ではマッコリを酒造して生計を立てるという情報があり、出張したことがあり、当地に到着してみると意外にそのマッコリの雰囲気は感じられなかった。ある老女が頭に壺を載せて逃げる姿を見て私を警戒していることに気がついた。調査に来た趣旨をもって説得し、隠した麹などをみせてもらった。その後、「民俗酒」第1号に指定された。ずっと後、我が故郷に近い京畿道抱川の「抱川マッコリ」が有名になって、日本にまで普及するようになった。

 朝鮮王朝は仏教文化を抑制し、お茶文化を禁じたので酒文化が盛んになったことは以前に触れたことがある。祖先供養に一番重要な供物は酒、マッコリである。儒教祭祀では三杯、長男からの順次「初献」「亜献」「終献」が厳しく決まっている。一般的な儒教式儀礼などにおいては三杯の献杯権が注視されるようになった。シャーマン儀礼のクッにはマッコリが餅とともに二大供物になっている。それは呪術的にまき散らすことがあり、また神様に捧げ、祝福の杯としていただくものでもある。

 李王朝時代の学者の丁茶山は酒が人の精神を濁らせるので清らかな飲茶文化を勧めた。彼はこの「マッコリ=濁酒」によって人の精神が濁ったと思ったようである。韓国の酒には「清酒」もある。韓国伝統酒の濁酒でにごり、清酒で清めるような酒文化の浸透も真の国際化であろう。

 酒はただの飲料ではない。社会性の強いものである。人によっては酒色で敗家亡身、また人によっては百薬の長、変身の妙薬にもなろう。


  チェ・ギルソン 1940年韓国・京畿道楊州生まれ。ソウル大学校卒、筑波大学文学博士(社会人類学)。陸軍士官学校教官、広島大学教授を経て現在は東亜大学・東アジア文化研究所所長、広島大学名誉教授。