ここから本文です

2012/09/07

<随筆>◇世宗大王は泣いている?◇ 産経新聞 黒田勝弘 ソウル支局長

 一九八〇年代初めのことだったと思う。ソウルの江南にレストランやサロン(個室バー?)など高級なお店が出始めていたころだ。日本料理屋もいわゆる「日式」という韓国化されたものではなく、本場に近い味の店が登場し始めていた。

 本場風という意味では、日本料理に無くてはならない刺身にマグロが加わり始めていたころだ。

 余談だが、韓国人はもともと刺身は歯ざわりのよい白身が大好きで、柔らかいマグロなど赤身は苦手だ。それがおそらく日本の影響だろう、マグロを食べだした。マグロの刺身や握り寿司は九〇年代以降、一般化し今にいたるが、韓国ではマグロの刺身を注文するとトロでも白いスジが入ったのがよく出る。これはスジが口に残ってどうにもならない。疑問に思ってある時、板前に聞いてみた。「なぜスジ入りを出すの?せっかくのトロがまずいよ…」と。

 答えは「韓国のお客さんが歯ざわりのいいのを求めるから」だった。なるほど、刺身に関する韓国人の伝統的な”味覚”が残っているのだ。しかしこれは日本人の好みと競合しないので好都合だ。「スジの入ったのは韓国人に回してスジの入っていない”いいところ”はこちらに…」といえる。

 閑話休題。

 江南に高級日本料理屋が出始めたころ、その一つに「竹島」という屋号の店が登場し大問題になった。マスコミが早速、「光復会など民族団体が反発し抗議!」などと非難報道を展開したため、たちまち店仕舞いになってしまった。マスコミによくある手で、自分たちが「ケシカラン!」といってニュースに仕立てたのだ。店に出かけ店長に聞いたところ、自分の故郷に「竹島」という島があり、その名前をいただいただけで他意はなかったという。看板には小さくハングルで「チュクド」とも書かれていた。「タケシマではなくチュクドだったんですがねえ」としきりに嘆いていた。

 その後、やはり江南で「いずみ」だったか、日本語の屋号の日本料理屋が登場し問題になった。「竹島」は後にハングルだけの「チュクド」で再出発したが、「いずみ」はハングル書きだったため店仕舞いの難は逃れた。あれから約三十年。今や日本語の屋号や看板はいたるところで見かける。とくに大学周辺などの若者街では日本語看板が流行といっていい。居酒屋やうどん、ラーメン屋などその代表だが、若者文化に“ひらかな”が入り込んでいるあたり隔世の感だ。

 それでも英語の看板の氾濫に比べると日本語などカワイイ。一九八〇年代の初めころまでは「国語純化」で外国語には規制があったが今やノーズロである。ハングル創造の世宗大王の銅像がある光化門広場周辺でも英語だらけだ。ハングル民族主義の中で英語の氾濫とは。世宗大王は泣いておられる?


  くろだ・かつひろ 1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者を経て、現在、産経新聞ソウル支局長。