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2012/09/28

<随筆>◇ くの壱忍法 ◇ マッカン・ジャパン 大西 憲一 代表

 武家屋敷風の店構えに魅かれて、こわごわと2階の扉を開けると、いきなり黒装束の女忍者に絡め取られた。「何者!」叫ぶ間もなく、「いらっしゃーい」黒装束には似合わない可愛い声でテーブルに導かれた。よく見ると愛嬌たっぷりの女性がニッコリ微笑んでいる。

 ここは釜山の国際市場近くにある博多居酒屋「くの壱」。女忍者の正体は「おるみ」こと、この店の女将さんの藤木るみさんだった。それにしても黒装束がよく似合っている。

 胸には丸に木の葉の忍者の家紋(?)。カウンターの奥にはもう一人、若い黒装束が様子をうかがっている。横にいる屈強な男の右手には刀、ではなく包丁。もう逃げられない。覚悟を決めて、ビールと鯖の刺身を頼んで、横に座った女将さんの話に耳を傾けた。この店は1か月前に開店したばかりのホヤホヤ。出身は伊賀でも甲賀でもなく福岡で、料理教室や韓国食材の店を経営しながら、韓国料理の勉強も兼ねて半島を行ったり来たりしていたが、ある時、韓国の日本料理店(いわゆる日式)で出された日本料理にショックを受けた。

 「これが日本料理?」もともと日式の料理は韓国人の好みに合わせた日本風料理だが、彼女は許せなかった。「私が本物の日本料理を提供したい」開店までにはいろんな苦労があったが、ようやく漕ぎつけた。腕の立つ日本人の板前さんも確保した。店の名前は思いっきり日本的にということで、女忍者の代名詞「くノ一」をもじって「くの壱」にして、店構えもユニフォームも忍者風にした。ちなみに、「くの一」の由来は女という文字を分解したものらしい。山田風太郎の「くノ一忍法帖」に出てくる「真田くの一五人衆」で一躍、有名になった。色っぽいところも似ている。

 地元の日本人駐在員や、日本大好き韓国人の応援もあって順調な滑り出しを見せているが、悩みも多い。「純日本料理」を守りながら、地元客の好みにどう合わせるか?韓国ではメインディッシュ以外に、おつまみ風の料理がテーブル一杯に並び、お代わり自由でしかも無料。しかし、これを許したら肝心の日本料理の味が分からなくなる。コストもあわない。また、塩と醤油中心の日本式味付けに戸惑うお客も多い。でも、「日本の食文化を守る」ためにも、この一線は譲らない覚悟だと。「女は一線を守るものよ」さすが「くノ一」です。

 私が提案した。「地元の人を対象に日本料理教室など開いては?」「もう、計画してます」。「ついでに忍者教室も面白いよ」「…」。ちょっと酔いが回ってきたようです。

 本物の板前さんの本物の博多料理を堪能して、ほろ酔い機嫌で店を後にした。1階の出口まで送ってくれた女将さんだが、振り返るともう姿が見えない。足音もしない。もしかして、本当の「くの一」ではないのかな?


  おおにし・けんいち 福井県生まれ。83―87年日商岩井釜山出張所長、94年韓国日商岩井代表理事、2000年7月新・韓国日商岩井理事。09年10月より韓国TASETO専務理事。2011年9月よりマッカン・ジャパン代表。