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2012/11/16

<随筆>◇ミュージカル『光化門恋歌』◇ 康 玲子さん

 大阪新歌舞伎座で『光化門恋歌』の公演が始まった。原案・脚色から音楽まで、すべてが韓国人の手による韓国ミュージカル、第6回大邱ミュージカルアワード大賞受賞作の本作品を、私は10日初日の舞台で観ることができた。

 話は、作曲家サンフンが、若かりし日に失った恋を回想しつつ、ミュージカルを創り上げていくという形で進行する。奥行きの深い舞台が存分に生かされて、心の奥底から過去が前面に踊り出し、現在が遠景に退いたかと思うと、また現在が現れ、過去は過去として折りたたまれ…過去と現在は行き来しながら、いつしか出会い、直接対話をはじめる。手を握り合い、抱き合いさえもするのだ。

 しかもこの「作曲家サンフン」には、80年代に数々のヒット曲を生みながら、2008年、がんのため47歳の若さで他界した故イ・ヨンフン氏の実像が重ねられている。故イ氏こそ、この作品の原案と全曲の作者であり、物語の中で最後に完成するミュージカルとは、この『光化門恋歌』そのものなのだ。舞台には演じる人たちの故人への愛惜があふれ、この作品が彼に捧げられているのだということが伝わってくる。会場のどこかに亡きイ氏がいて、微笑んでいるのでは?とも、つい思わされてしまう。

 だから過去と現在だけではない、虚構と現実、さらには死と生の境界までが、交錯し、とけあい…、私たちは不思議な空間に誘(いざな)われ、悲恋のストーリーを体験することになる。

 一人の女(ヨジュ)と二人の男(サンフンとヒョヌ)、切ない恋の物語。背景には、軍事独裁政権下での民主化闘争弾圧がある。これはスリリングな恋を演出するための小道具などではない。80年代にようやく民主化を成し遂げた韓国の現代史、それまでの暗い時代に青春を送った者なら誰もが知っていることだ。

 自由を渇望し、人間らしい生き方を求めることと、一人の人を愛し、大切にすることとは、ひとつのことだった。だからこそ、恋をうたったイ・ヨンフンの歌が80年代韓国で支持されたのだろう。そして舞台上で、ヨジュの幸せだけを願うサンフンにも、民主化と恋とを求めて揺れるヒョヌにも、私たちは心惹かれるのだろう。時間が流れ、時代が変わっても、赤い夕焼けのような恋の思い出は色あせることがない。その変わらぬ美しさが、人生の悲しみをいっそう引き立ててくれる。悲恋はしかし、それも人生の歓びなのだろうか。つらい思い出のはずなのに、命を燃焼させ尽くした充実感があるというのはどうしたことか…。

 もっともそんな思案抜きに、作品はあくまで華やか。もっと素直に、ただこの舞台を楽しめばよいのだろう。情緒たっぷりの詩と音楽、圧倒的な歌唱と躍動感はじけるダンスに酔いしれ、笑い、泣き、韓流スターに声援を送るのもいい。ミュージカルはかくも豊かな芸術だ。その人間賛歌は、観る者に力をくれる。


  カン・ヨンジャ 1956年大阪生まれ。在日2.5世。高校非常勤講師。著書に『私には浅田先生がいた』(三一書房、在日女性文芸協会主催第1回「賞・地に舟をこげ」受賞作)。