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2013/03/15

<随筆>◇奇跡の一本松◇ 広島大学 崔 吉城 名誉教授

 「奇跡の一本松」とはご存知のように東日本の大震災後にアイアカマツ(赤松と黒松の雑種)の1本が奇跡的に倒れずに残った松の話である。しかし背の高い赤松の美しさの話ではない。震災で悲しくも死んで、剥製にされ、記念塔のように立っている松である。多くの人が訪ねて見上げる。その松を見る人の心境は複雑であろう。美しさと悲しさを同時に感じさせるからである。この松は大地震で多くの人命や財産を失う現場を見守った証人のようにその廃墟地に立っている。また生き残った人々に生きる意欲を象徴する励みの老松かもしれない。しかし正直にいって私には見上げる勇気がないように思う。死の地獄から生き残った当人たちにその場面を回想させるのは残虐な気がする。すくなくとも二度と見たくない気持ちと悲惨な歴史として残ることだろう。

 その赤松を保存するか、否かよりもっと根本的な問題がある。その松が生き残ったとはいえ、悲惨な象徴物であるからである。保存する側と観る側は必ずしも一致するわけではない。私はその3・11の日にテレビの生中継のような映像を忘れられない。東日本大震災から2年になった。その事実は少しずつ忘れられ希釈されていくだろう。

 文化庁は「地形が残っている」として名勝地として指定しようとすると伝わっている。何を文化財、どう保存すべきか常に考えるべきである。悲しい不幸な被災地の松を以って記念、名勝地化することは何だろう。このような負の遺産を無くすべきか、保存すべきか、深く考えてみる必要がある。

 イタリアのポンペイには火山の爆発で犠牲になった悲惨な状況が展示されている。私はローマ時代の華麗な文化生活が一瞬で火山物に埋められた悲劇的な状況の痕跡をみて気持ちが重くなった。広島には原爆ドームが世界文化遺産として登録されて、原爆の恐ろしさを表している。その被曝中一本のソテツが元気に生きている。私は広島大学東千田キャンパスでの講義に行く時はその路辺に被曝しても生き残っているそれをみた。そのソテツは偶像化されていない。

 韓国が東洋の代表的な建築物である朝鮮総督府の庁舎を植民地時代の歴史とし、破壊・撤去したのはまだ記憶に新しい。日本が植民地支配の歴史を否定しても、歴史自体は消えるものではない。また焼かれた南大門を復元してもそれはあくまでも新しいものに過ぎない。歴史の中から何を残して、何を保存するかは簡単なことではない。国家や民族に限るものではない。

 負の遺産をどうもつか。ただそれを公にもって反省するか、密かに持つかは当の本人の判断によるものであろう。どちらが正しいか、否か評価することも批判することもできない。個人も痛みを持って、忘れたい過去を持っているはずである。それを消そうとしても消せない。むしろその過去によって現在の自分、人格が形成されてきたことを悟るべきである。


  チェ・ギルソン 1940年韓国・京畿道楊州生まれ。ソウル大学校卒、筑波大学文学博士(社会人類学)。陸軍士官学校教官、広島大学教授を経て現在は東亜大学・東アジア文化研究所所長、広島大学名誉教授。