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2013/06/14

<随筆>◇かぞくのくに◇ 広島大学 崔 吉城 名誉教授

 下関海峡映画祭で在日2世の梁英姫(ヤン・ヨンヒ)監督『かぞくのくに』を鑑賞した。映画鑑賞の会場としてはよくない所で画面は暗く、音声は悪く、椅子は固く、映画鑑賞をしたというより実体験でもしたような気がした。しかしそれがこの映画を観るのに相応しかったようにも思われた。梁監督が自身の実体験を基に書きおろしたフィクション映画である。フィクションの形を取ったからこそ真実をリアルに描くことができたのだろう。

 16歳の息子のソンホが当時祖国は「地上の楽園」と称えられていた北朝鮮へ帰国した物語である。そこで結婚し、子供も生まれ、離れ離れとなって、25年ぶりに病気治療のため再び日本に「一時帰国」し、妹のリエや母ら、家族は歓喜し、暖かく迎え入れた。

 担当医に3カ月では治療は不可能と告げられ、滞在延長を申請しようとしたところ、本国から「帰国命令」が出て、結局重い病気のまま帰国せざるを得なかった。妹のリエは限られた「面会時間」のような制限時間の中でおしゃべりをして楽しんだが、別れる場面は私には感動というよりは辛かった。

 それはフィクションであろうと思ったが、佐高信氏との対談集『北朝鮮で兄は死んだ』(七つ森書館)で梁監督はその「兄は死んだ」と事実を語った。北朝鮮への入国が禁止されて、兄の墓参りにも行けない。腹立たしさを越えて無念としかいいようがないと。

 「一時帰国」した息子をなぜ返させなければなかったか。日本では北朝鮮から「一時帰国」してきて帰らなかった例もあり、帰国させなくてもよいのではないかと私は思った。「お兄ちゃんたちは何であんな遠い所に行ったんだろう?そこはどんな国なんだろう?」という問いかけは重い。私の日本への移住を含めて、人の移動は意思の有無に関わらず運命的なことであろう。それに逆らおうとしてもしょうがない。人はその時最善の道を選んだに違いない。満州や沿海州、樺太へ、そして戦後帰国した人、しなかった人、その人の運は時代によって異なる。一回の判断によって天と地の差の結果になることは運命としか言いようがない。

 「そこはどんな国であろうか」

 日本のマスメディアが、資料画面で拉致国と貧国のイメージを作っているのでその社会や文化を正しく理解することができない。私は訪朝して少し太った子供の顔を見て安心した覚えがある。それは死にかかっている子供ばかりの日本の映像とは異なったからである。梁監督はそこにも恋愛も離婚もあり、笑いと涙もある一般社会であることを普通に伝えようとしたという。「一つの物語、誰の身の上にも起きる、誰の心にも通じるようなものをつくりたい」と。

 私は平壌で街並み、博物館、劇場、本屋など視野に入るものをたくさん撮った。全部没収されるだろうと言った人がいたが、私は全部無事に持ち帰った。