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2013/11/01

<随筆>◇山口禮子句集『半島』から◇ 産経新聞 黒田勝弘 ソウル駐在特別記者兼論説委員

 一九八〇年代の初め、そのきっかけは思い出せないのだが、事務所を訪ねてきて以来、知り合いになった金鱗太(本名、金炳龍)という韓国の俳人がいて、彼が後に日本語で書いた俳句集を韓国で出版した。『日本の真髄』(一九八九年、明志出版社刊)と題し、千七百あまりの句が収録されている。

 彼は一九二〇年代末生まれの慶尚南道・蔚山出身で、日本時代に日本での生活経験があり、若いころは故郷で政治家を目指したり、オールドタイプの韓国男によくある「気が多い」というか、波乱万丈の人生をすごした。俳句は七〇年代からソウル駐在の日本人に習ったといい、還暦を機に句集にまとめたのだった。

 彼は家庭生活を含め破滅型人生で、句集発行を含め何かとヘルプしてあげたのだが、その借金のカタで持ってきた韓国・東洋画が一枚、まだぼくの手元にある。晩年はホームレス的に水原の教会で孤独死してしまった。「土手の上行けば陽炎(かげろう)遠ざかり」が日本の俳誌『ホトトギス』での初入選作で、そのほか「コスモスの一群白く野の陰に」や「鳳仙花はじける空の青さかな」など韓国風景の素朴な作もある。最近、読み返してみて「理不尽の夫婦別れの卯月かな」とか「食もなく句に耽(ふけ)るかな寒(かん)の村」「人生は紅葉(もみじ)の様に暮るかな」など“人生句”が彼の一種、壮絶な人生を物語っていて、痛ましくも懐かしい。

 この金鱗太氏の句集を思い出したのは、最近、ソウルで長年、俳句をやっている「ソウル俳句会」の山口禮子さんから『半島―山口禮子句集』を頂いたからだ。山口さんはソウル・ガーデンホテルのマネジャーを勤めていて、SJC(ソウル・ジャパン・クラブ=ソウル日本人会)の俳句会のリーダー格である。ソウル在住二十一年、俳句歴十八年という。山口さんの『半島』はぼくがソウルで接した二冊目の句集ということになる。著名な俳人、黒田杏子氏が序文を寄せ絶賛しているが、韓国の片隅で一人、さびしく人生とともに苦吟した故金鱗太氏の句集とは異なり、こちらはプロ級の作品ばかりだ。句集を開いてアトランダムで紹介するが、たとえば「そぞろ寒市(さむいち)の盥(たらい)にわたり蟹」とか「オンドルのまず足裏よりもてなされ」「カイバイボ春の堤をのぼりくる」など韓国情緒のほか、ぼくのお気に入りでは「こほろぎと住み携帯の充電中」や「濁り酒十人寄れば十の理非」「二十年住みしソウルや花は葉に」などみんな素晴らしい。最後は作者の心境である。「花は葉になったけれどまた花は咲くじゃないの」という心意気と解したい。

 それにしても韓国人に俳句ファンが少ないように思う。ハルキ・ブームをふくめあれだけ日本文学(文化)ファンがいるのに。韓国人と日本人の情緒の違いだろうか、五・七・五は韓国人には短かすぎるのだろうか。もっともっと韓国人に俳句の面白さや深みを伝えてほしいというのが山口さんへのお願いだ。


  くろだ・かつひろ 1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者、産経新聞ソウル支局長を経て、現在、ソウル駐在特別記者兼論説委員。