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2014/03/14

<随筆>◇沖縄・石垣島の記憶◇広島大学 崔 吉城 名誉教授

 先日、久しぶりに沖縄石垣島現地調査に行ってきた。福岡空港から1時間40分、さらに那覇から40分南へ、日本の南境の尖閣に近い所まで行った。気温は本島より10度高い17度、気持ち良い南風に迎えられた。中部大学在職中、20年ほど前にもここで研究会をしたが、風景や博物館の中も全く記憶していない。朝鮮戦争などを鮮明に記憶しながら20余年前のことが記憶に残っておらず不思議である。

 東洋大学の植野弘子教授が代表とする科研の「帝国日本のモノと人の移動に関する文化人類学的研究」という大きいタイトルの中での私の調査目的は戦前戦後の植民地文化に関心を持っての参加だった。準備委員たちが共同調査のために事前準備した細かい日程に合わせて車を走らせ、歩き、撮影、録音などで忙しい毎日であった。

 石垣島博物館では中国の儒教文化の影響が著しく、その点韓国と似ている。ここの女性たちは物を頭に載せて運ぶ展示物に視線がとまった。結婚式、洗骨・葬式などが陳列されたのを見ながら韓国の儒教式葬式と似ていると感じた。しかし目立つのは死体を運ぶ棺が四角であること、座葬であることである。死体を墓に入れて数年してから取り出して洗って再葬するのは韓国の草墳と同じ文化圏である。

 私は1965年に韓国全羅北道蝟島で草墳を観察して南方文化論を主張したことがある。74年に沖縄宮古島で洗骨の現場を調査して写真を撮って残してある。コースによって車を乗り替えながらジグザグに走った。まず100年の歴史をもつ玉那覇酒造所へ行った。タイ米を洗い、蒸し、一晩ねかせて4台のコンベアーで横のタンクに入れて手で黒酵素を混ぜ、モロミが黒くなったらタンクに日づけをして17日間発酵させる。そして蒸流する釜に入れ 蒸留されて出てくる70度(平均45度)のアルコールを手作業で瓶詰め、商品化する。

 サトウキビ畑とパイナップル畑のある道を車窓から眺めながら日本のプランテーション、戦前の政策を考えた。ある人は占領時代の「琉球政府」と現在の「日本政府」とを比べて語った。日本への復帰については民主主義になるかどうか疑問をもったことなど、日本政府に否定的な態度をとった。琉球政府時代には官吏として教員や一般人が採用されていて民意を直接聞いて政策に反映されていた。飛行場の反対運動に米軍は世論を聞いてくれた。彼が勤務中に4年間貯めた有給休暇80日間を守ってくれて許可を得た。

 しかし今は島民の意見を米軍に言っても日本政府に話せと言うだけで聞いてくれない。今の日本政府は戦前の官僚制がそのまま残っており、規制ばかりを気にして、中央からの指示に従って仕事をするので上手くいかないと強く言った。沖縄では独立を考える人がかなり増えているという。

 私は70年代復帰直後に沖縄で聞いた意見と似ていて当時を思い出した。


  チェ・ギルソン 1940年韓国・京畿道楊州生まれ。ソウル大学校卒、筑波大学文学博士(社会人類学)。陸軍士官学校教官、広島大学教授を経て現在は東亜大学・東アジア文化研究所所長、広島大学名誉教授。