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2014/05/30

<随筆>◇ハナミズキと「アリラン慰霊のモニュメント」◇ 呉 文子さん

 1985年10月26日、「日韓交流明暗の歴史」の講演会場・憲政記念館には、中曽根首相夫人をはじめ国会議員が大勢参席していた。当日の講師から女性たちの集まりだからと誘われ物見遊山で出掛けたのだが、会場の雰囲気にすっかり圧倒されてしまった。

 主催者を代表して日韓女性親善協会の相馬雪香会長が「不幸な過去を克服するために、いま何をなすべきか」と未来志向での日韓親善の必要性や重要性について力説された。まだ88年のソウルオリンピック前で、韓国に対しては蔑視する風潮が色濃く、欧米志向が強かった。そんな頃に在日韓国人講師を招いて講演会を開こうとする相馬会長の見識にすっかり魅了され、私はすぐに日韓女性親善協会に入会したのだった。

 ハナミズキの由来を知ったのは、相馬会長にお会いしてからだから四半世紀以上になるだろう。相馬会長の父は憲政の神様と言われた尾崎行雄氏。氏が東京市長だった1912年、ワシントンへ3000本のサクラの苗木を贈り、その返礼としてハナミズキの苗木40本が贈られた。尾崎行雄氏ゆかりの憲政記念館には戦禍をくぐりぬけ見事な孫木となって殖えつづけている。

 毎年ポトマック河畔ではさくら祭りが開かれ、12年には「尾崎咢堂・ワシントン桜寄贈100年記念フォーラム」が開かれた。奇しくも相馬雪香生誕100周年の年でもあった。戦争という過去のいまわしい歴史を乗り越え、友好と親善のシンボルとして咲き続けている。

 韓国と日本との間には、いまもなお難問をかかえギクシャクとした関係が続いている。特に従軍慰安婦問題について、オバマ米大統領が「ひどい人権侵害だ」と指摘。それに対して「筆舌に尽くしがたいおもいをされた慰安婦の方々のことを思うと胸が痛む」と安倍首相は答えている。米国では、女性の人権と尊厳に対する認識を高めようと、慰安婦にされた女性たちを象徴する「平和の少女像」が、カリフォルニア州グレンデールにつづきミシガン州のデトロイト郊外にも設置されることが決まったという。

 日本でも、97年、山梨県の「平和を語る会」が、元従軍慰安婦の霊を慰めようと沖縄県渡嘉敷村に「アリラン慰霊のモニュメント」を建立した。それは那覇市内で誰にも見取られることなく腐乱死体で発見された元慰安婦の死に、深い悲しみと責任を感じた会の代表橘田浜子さんらが全国に呼び掛け、5年の歳月を経て完成させた。日本人の真心と韓国人の願いが一つになって結実した貴重な証しであり和解のシンボルとなっている。

 殴った側の良心がシクシクと痛み、それが殴られた側に感じとれれば、過去の負の遺産を和解の道標へと転換することもできるのだ。ハナミズキの由来や「アリラン慰霊のモニュメント」はその証しと言えよう。安倍首相の「胸の痛み」はどんな形で象徴されるのだろう……。


  オ・ムンジャ 在日2世。同人誌「鳳仙花」創刊(1991年~2005年まで代表)。現在在日女性文学誌「地に舟をこげ」編集委員。著書に「パンソリに思い秘めるとき」(学生社)など。