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2014/09/05

<随筆>◇李舜臣(イ・スンシン)の大復活◇ 産経新聞 黒田勝弘 ソウル駐在特別記者兼論説委員

 韓国も夏が過ぎ、今年は秋夕(旧暦八月十五日の中秋節)が九月八日と早かった。どこか秋の訪れも例年になく早い感じがする。秋夕は前後三日が公休日だが、今年から振り替え休日が始まったため十日までの大連休にサラリーマンたちは大喜びだ。

 夏の話題は映画『ミョンリャン(鳴梁)』だった。七月末の封切り後、一カ月で観客千五百万人突破とマスコミは大騒ぎになった。夏休みシーズンで映画界にとっては毎年稼ぎ時ではあるが、初日の観客数からはじまり一日の最高観客数、千万人突破の日などこれまでのすべての記録を塗り替えた。史上初の千五百万突破に話題沸騰だった。

 それにしても人口五千万の国で千五百万人以上が入場料を払って映画館に足を運んだとは。ギネスブックものを越えて超驚きである。赤ちゃんから寝たきりを含め、国民のおよそ三人に一人がこの映画を見に映画館に出かけたことになる。にわかに信じがたいが、業界の公式数字だから信じるしかない。このものすごい数字のナゾ(?)は誰か社会学的に解いてくれないものだろうか。で、映画だが、李朝時代に日本から攻めてきた豊臣秀吉の水軍を破った海の名将・李舜臣が主人公。日本をやっつけた韓国偉人伝のトップ・ヒーローの活躍に観客の期待は当然、大きい。わずか十数隻で三百隻以上の日本水軍を撃退したというストーリーの下、その海戦シーンが最大の見せ場だから観客は拍手喝采、スカッとした気分になる。最高の愛国納涼映画になった。

 マスコミはあらためて李舜臣の英雄的リーダーシップや危機管理能力、民への配慮を称え現実政治に対し教訓を垂れていたが、今回の爆発的ヒットの背景には、確かに例の「セウォル号事故」のイメージもあった。というのはタイトルにある「ミョンリャン」というのは地名で、「セウォル号」が沈没した珍島周辺と同じ海域だからだ。そして海を舞台にした国難克服ドラマは、「セウォル号事故」の難局克服イメージにかさなる。

 ところで李舜臣だが、韓国では朴正熙政権時代(一九六一~七九年)になってから最高級の偉人として称えられ、光化門前に銅像も立てられナショナル・ヒーローになったが、それまではそれほど有名ではなかった。政治的に曲折のあった人物だったからだ。それを武人だった朴正熙が歴史からピックアップし国民的英雄に仕立てたのだ。

 ところが面白いことに李舜臣はむしろ日本で昔から高く評価されていた。その話は司馬遼太郎の名著『坂の上の雲』(第八巻)に登場するが、日本海軍では彼は「世界第一の海将」とされ、その業績と戦術が研究され語り継がれてきた。そして日露戦争の勝敗を決した日本海海戦にあたって、鎮海湾から出撃した日本の連合艦隊は「李舜臣の霊」に戦勝を祈ったという。この際、こんな話が韓国人にもっと知れるといいんですがねえ。


  くろだ・かつひろ 1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者、産経新聞ソウル支局長を経て、現在、ソウル駐在特別記者兼論説委員。