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2015/04/10

<随筆>明治期外交官・若松兎三郎と韓国:共生のための苦悩 第8回                                   大東文化大学 永野 慎一郎 名誉教授

◆「日本綿花栽培協会」を設立、在木浦商工人は事業に全面協力◆

1905年7月25日、帝国ホテルにおいて綿花栽培協会創立総会が開催された。貴族院議員、衆議院議員、農商務省当局者、紡績連合会役員および実業家など有志数十名が出席し、「韓国における綿花の改良繁殖を図る」ことを目的とする日本綿花栽培協会が設立された。

 創立総会において評議員数十名が選出され、理事として野田卯太郎、角田眞平、青地雄太郎、萩野芳蔵、庄司乙吉が選出された。また浦上格が事務主任に指名された。その後、在京城公使館の斡旋により、韓国要路の大官および韓国在住の日本官民の重要な人士から評議員または理事が推薦された。さらに各方面より評議員を補充した。このような広範囲の人士による組織を背景にして棉花栽培協会の活動がスタートした。


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