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2020/10/16

<随筆>◇コロナ禍の中で迎えた秋夕◇ 呉 文子さん

 夫の故郷からの便りによると、今年の秋夕(チュソク)は、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、できるだけ移動を控え「オンライン墓参り」をするようにとの呼びかけもあり、異例の秋夕だったようだ。民族大移動ともいわれる秋夕だが、互いの消息を分かち合う団欒の賑わいは少なかったようだ。コロナ禍は民族の伝統行事にも変化をもたらしている。

 子どもたちが自立してからは長男は海外赴任、次男は仕事の都合で来られないことが多くなり、秋夕を一緒に迎えることが少なくなったが、子どもたちが幼かった頃、我が家では夫の指示に従って簡単な儀式や再拝を済ませると、必ずといっていいほど故郷の思い出話や若くして亡くなった母親の苦労話をするのが常だった。そしてペンをとって描いてみせる故郷の家は集落の一番高いところにあり、ぐるりを竹林が取り囲み柿やナツメやカリンのある大きな農家のたたずまいだった。

 集落の前には小川が流れていて、小魚捕りで日が暮れるのも忘れて遊びまわり母親に心配かけた話、日本留学の折、白いチマ・チョゴリ姿の母親が、門前でいつまでも手を振り、点のように小さくなるまで見送ってくれた話など毎年同じ話を繰り返し、我が家の儀式は終わるのだった。

 母親の訃報が届いた日のことはいまでも忘れることができない。アイゴ―! アイゴ―!と肩を震わせ号泣していた夫の姿。分断時代を生きざるを得なかった在日一世の多くがそうだったように、孝養を尽くせなかった悔恨の念を終生引きずりながら生きていた。


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