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2021/01/15

<随筆>◇「露堂堂」と生きた浅川巧◇ 光州市立美術館 河 正雄 名誉館長

 私を育み、血と肉を作った故郷は生誕地の布施森河内(現東大阪市)、生後移住した秋田県の生保内(現仙北市)。2歳から4歳まで一時住んだ父母の故郷、韓国全羅南道霊岩。秋田工業高校卒業後に定着した埼玉県川口市である。

 もう一つ忘れてはいけない大事なふるさとがある。青春21歳の時にふらりと降り立った浅川巧のふるさと「清里(現山梨県北杜市)」である。巧は山梨県立農林学校を卒業して、秋田県大館営林署で造林技師として4年間務めた。後に兄・伯教と相前後して朝鮮に渡り、農林技術の普及に努める。傍ら失われようとする朝鮮の美の発掘に献身し、後の柳宗悦を開花させた民芸運動の先駆者である。


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