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2022/08/12

<随筆>◇渡来集団「秦氏」の実像を追う◇板井一訓さん

 京都へ移住して3年、今年も祇園祭を見れなかった。早くみないと冥土の土産が無くなると焦っている。息子3人と孫6人はそろって「蘇民将来之子孫也」の護符を授かっている。コロナ禍の中、牛頭天王のご神徳で我が家は平穏である。

 祇園祭のモチーフである「牛頭天王と蘇民将来」の説話は奈良時代から渡来系住民の間で語り継がれ、説話の主人公達は疫病除けの神として信仰された。平安時代中頃からこの信仰は、都市部の商工民や山の民・川の民の間で急激に広がりその祭りも盛大なものになってきた歴史がある。その歴史と背景を知りたくて、去年から信仰の盛んな地域を巡り始めた。備後風土記に記された福山の「疫隈(エノクマ)の国つ社」、牛頭天王信仰を西日本各地に広めた姫路広峰神社、東日本にその信仰を広めた津島神社、猿楽揺籃の地田原本初瀬川沿いの地域。いずれも秦氏の繁衍地であり、この信仰は秦氏が持ち歩いたものと推測させる。


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