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2006/01/01

<総合>新春座談会 『東アジア共同体を目指して』

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    東アジア共同体の成否について熱心な議論がなされた(右端は金時文・本紙編集局長)

 東アジアにおいて共同体創設を目指す初の「東アジアサミット(首脳会議)」が、昨年末に開かれた。今年12月にはフィリピンのセブ島で第2回サミットが開かれる。共同体が実現すれば経済的にも巨大な共通市場が形成され、この地域のウェートはさらに大きくなる。だが経済発展段階は大きな違いがあり、宗教、文化なども多様だ。実現には多くの課題があるが、共同体に向け動き出した。ン余照彦・国学院大学教授、鹿取克章・外務省外務報道官、金徳吉・エイアイエス会長、深川由起子・東京大学教授、金慶珠・東海大学助教授の5氏に語り合ってもらった。(司会・金時文本紙編集局長)

 司会 東アジアサミットが昨年末に初めて開催され、 「東アジア共同体」の可能性について論議された。アジア人として「東アジア共同体」についてどう考え、どう目指していけばいいのか、みなさんに議論してもらえればと思う。まず各自の自己紹介からお願いしたい。

 ン余 61年に台湾から日本に来た。滞日生活は45年におよぶ。日本の大学はまだ国際化が今日ほど進んでおらず、台湾から来た留学生が学位論文を取るのも、就職先を探すのも大変だった。学位論文を提出した72年に日中国交回復があった。国交回復に伴い台湾国籍が認められなくなったので、私は無国籍になった。

 無国籍者は日本国から一旦出国すると再入国が許されず、悩んだ末に日本国籍を取ることにした。出生時は日本国籍、それが終戦後には中国籍(台湾籍)に戻って、再び日本国籍になった。氏名も二転三転して行ったり来たりした。

 台湾人はこのように、国際政治の荒波の中で生きざるを得なかった苦悩を背負っている。政治に距離を置いて国際経済の分野を歩んだのも、そういう背景があるからだ。名古屋大学を退官するときに日本のある新聞社のインタビューを受けたが、その中で「自分の歩んできた道は、アジア人として生きてきた道」と答えたことがある。

 金慶珠 日本に留学生として来てから、すでに11年目を迎える。韓国において社会の中心的役割を担うとされている、いわゆる386世代(60年代に生まれ、80年代に学生運動や民主化を経験した世代)に属する。

ただ、80年代を語る上では、軍事政権に反対して民主化運動を行った学生達や権利主張を拡大させていた労働者階級の台頭と共に、70年代の経済発展を通じて韓国社会のマジョリティーとして浮上した中産階級の存在も忘れてはならない。

 社会の変革よりは安定的発展を望みながら、経済的・文化的消費を担うこの中産階級という存在は、今後の東アジア共同体を語る上で大きなキーワードになるはず。

 私自身、韓国における「新興中産階級」の一人に分類される立場であると思われるが、今日はそうした観点からも東アジア共同体における今後の可能性を探ってみたい。

 鹿取 1973年に外務省に入省した。留学し、最初を含め3回勤務したドイツには公私にわたり多くの貴重な思い出がある。最初の東アジア勤務はマレーシアであった。アジアの多様性を肌で感じるとともに、マレー系、中国系、インド系の国民が協調しつつ見事に国家を運営しているのを見ることができた。

 韓国へは2000年に赴任したが、隣国であるにもかかわらずいかにこれまで接点がなかったか、またいかに知識が乏しかったかを実感し、ショックを感じた。そこでこの5年間、韓国に関する政治、文化、そして近現代史書などを多く読んだ。韓国語も勉強している。隣国との関係は外交にとって極めて重要なので、今後の日韓、日中関係に大きな関心と意識を持っている。

 金徳吉 在日2世でIT関係の会社を経営している。在日の多くがそうであるように、私も韓国に行くと「あなたは99%日本人」と言われ、日本では「韓国人」と言われるが、それも身に付いた感がある。

 在日留学生がほとんどいなかった時代、1年間ほど韓国のソウル大学に留学した。光州で行われた剣道大会に出たことがあるが、その試合で日本の剣道着で袴を着て試合に出るように大学のコーチから言われ、(深く考えずに)出た。当時は韓日国交交渉が行われ反日デモが盛んな時代で、その日の優勝祝賀会で同じチームの学生たちに小突かれた。在日韓国人はどんな存在なのかと自覚せざるを得なかった。

 韓国は韓日国交回復後、開発経済を取り入れ、その後長らく日本から鉄や化学肥料などのプラントを持ってきた。そのおかげで経済復興したが、日本が知的財産権で大もうけしたことも事実だ。しかし、いまは韓日双方とも以前より経済的重要性が減っている。

 経済の流れの中で東アジア共同体について考えたい。(自分を)北東アジア人とは思うが、領域を広げて豪州、インドまで広がった東アジア人と自己規定するのは心理的に難しい。

 深川 韓国をはじめ、20世紀後半に急速な経済発展を遂げたアジアのニーズ(NIEs、新興工業経済地域)を実務から、そして研究の側からみて四半世紀が過ぎた。
東アジアの経済発展は文字通り社会人生活の同時代史で、韓国経済のグローバル化も身近に感じてきた。第3国で韓国の人と会う機会が増えたし、韓国が日本を見る目も相対化されてきたように思う。

 日韓関係も多くの意味で水平になった。昨年は「日韓友情年」だったが、先輩・後輩ではなく、そういう言葉が使われるのも水平分業時代になった証拠だし、年間400万人が相互往来するのもその証しといえる。

 言論の自由と情報公開が進んでから韓国のエコノミストは一段と層が厚くなり、経済分析だけなら自国の分析は十分になされるようになった。

 しかし自分では自覚していなくても、人に指摘されるとよくわかる部分は人間にも国家にもある。

そういうニッチで貢献することが使命なので、観察眼が狂わないよう、同じ東アジア・コミュニティの住人だとしても、やはり「冷たい頭と温かな気持ち」を大事にしようと思っている。

 司会 東アジアサミットでは、東アジア共同体を作っていこうという一定のコンセンサスは出来た。ASEANプラス3では、もう一歩踏み込んで2020年に目標を達成しようと宣言している。しかし課題もいくつかある。どこまでを東アジアとするかだ。また東アジアサミットにはロシアも参加表明している。みなさんは東アジアサミットをどう見ているか。

 鹿取 東アジアサミットは初会合として成功であった。東アジア首脳会議が地域の共同体形成に重要な役割を果たし得るとの認識が示された。この地域の安定と繁栄を一層高めていく上で、開放性、包含性、透明性など枠組みについての原則や、普遍的価値の共有など共通の認識が確認された。今後、共通作業を通し一体感や連帯意識を一歩一歩高めていくことが重要だ。

 一部の報道に見られる「主導権争い」と言う指摘は、余りに矮小化された見方である。議論が行われることは自然なことであるが、東アジア共同体は、すべての関係国の協調なくしては目指すことはできない。

 ン余 まず開催できたこと自体に意義がある。アジアの戦後史から見ると大きな一歩だ。ただ逆説的になるが、共同体を宣言しなくても域内の相互依存は強まっている。それに自由貿易でアジアは大きく成長してきた。

 企業はすべて世界企業を目指す。なぜ共同体をつくるのかという所から再検証する必要がある。そのためにAPEC(アジア太平洋経済協力会議、89年発足)が歩んだ道を再検討することである。

 天安門事件で経済制裁を受けていた中国のAPECへの加入(92年)しは、米国の経済制裁を解除する一つの外交手段の舞台に使われた。つまり中国はAPECをうまく利用して「外資導入・輸出指向」の政策展開に結びつけた。その代わり中国は台湾と香港の同時加入を認め、その後の課題を負うことになる。

 APECは経済協力から政治的性格を帯びるようになり、大きく変質した。相対的価値が低くなり形骸化してしまった。東アジア共同体も、どういう共同体を目指すのかはっきりさせないと、APECの二の舞になる可能性がある。

 深川 アジアには政治の壁があるので、経済問題だけをASEANプラス3でやってきた経緯がある。ン余先生が述べたように、APECも中途半端な形になってしまった。EUのような形は短期的には望むべくもないし、多分適当でもない。

 ヨーロッパとアジアは国家の歴史も枠組みも違う。国民国家が長年続き、その枠を土台に結びついたEUと、国民国家の枠組みができる前にグローバル化の波が押し寄せた東アジアの国では国の成り立ちが違う。政治の壁は首脳会談のできない現状が象徴している。首脳同士が会えない共同体などあるだろうか。通貨危機の後は日本の金融協力が求心力となり、ASEANプラス3での結束が志向された。

 しかし、危機感がなくなればまた元の黙阿弥で、実質、ASEANプラス3を生み出した日本が今後の東アジアサミットではインドや豪州、ニュージーランドを引き入れ中国の影響力を抑止しようとしたことには矛盾を感じる。

 金慶珠 アジアには歴史的・文化的多様性が存在するので、これが共同体づくりの障害のひとつであると言われることには必ずしも賛同できない。むしろ「否定的に作用するであろう」とする認識自体が二の足を踏ませる要因のひとつになっている。

 問題は、共同体作りの目的と戦略を定める上で、いかにわれわれの「認識」と「行動」を切り離して考えるのかにある。文化人類学的には、人間の文化は大きく3つのカテゴリーに細分化される。第1に物質文化、第2に価値観や認識などの精神文化、第3に言動や行為規範といった行動文化である。東アジア共同体を考える上では、「価値観や相互認識」といった精神文化の統一を含めた議論が展開されている感があるが、現実的には金融や政治制度の調整といった「行動規範におけるルールづくり」に限定した議論であることを明確にする必要がある。儒教的礼としての行動ルールを戦略的に調整していく観点が望まれる。

 金徳吉 ASEANプラス3は安全保障問題を語らないが、東アジアサミットでは安全保障問題も浮かび上がっている。安全保障を語るときは米国の存在を忘れてはいけない。米国は共和党政権であれ民主党政権であれ、米国との二国間同盟や諸々の安全保障の仕組みに取って代わるものが現れると過度に反応する。米国とどう付き合うかは大切な問題だ。

 経済的な側面では、東南アジアには日本企業がこれまで大挙進出し勢力を誇ってきた。しかし、現在はその勢力図も変わりつつある。繊維産業などは中国が低コスト路線で驚異的に成長し、他のアジア企業との競争が激しい。また、私はIT関係の仕事をしているが、ソフトウェアの国別の技術力は大きな影響力がある。例えばハードウェア20%、ソフトウェア80%といわれる戦闘機開発など最先端の技術は欧米系がやはり強い。この技術力の差を東アジアの国々がどう対処していくかという問題もある。

 深川 隣国関係は万国共通の課題だ。地域を結束させるのは経済危機とか、地政学的脅威とか、ある種のプレッシャーだ。ヨーロッパ各国は、大半の製造業の競争ではアジアに勝てない、金融では米国に勝てないという危機意識があり、それがEUに結びついた。ASEANプラス3ができたのも金融危機があったからだ。各国が外貨を貯め込むことでプレッシャーはなくなった。

 しかし今度は世界経済、特に巨額の経常収支赤字を抱える米国との間に大きなゆがみがある。東アジア共同体づくりの理由がどこにあるのか、もう一度見つめ直す必要がある。

 ン余 EU加盟国は、どこも国内マーケットだけでは企業が維持できず、国外(とりわけ隣国)市場がほしいという事情(貿易黒字)があった。また欧州各国の戦略が米国の世界戦略と広く合致した側面もある。金徳吉さんが述べたように、東アジア共同体をつくるには米国の世界戦略と合致しないと、常にあつれき(軋轢)を招くだろう。

 アジアが成長したのは日本経済が大きくなって円が強くなり、日米経済摩擦が生じたことが背景にある。日本企業はアジアに出ていく必要が生じ、最初は労働集約産業、次に高付加価値産業へと進んだ。対米黒字が減った分をアジア経由で米国に輸出して補ってきた。日本経済の影響力は大きい。

 司会 東アジア共同体を目指すうえで、ナショナリズムの問題がある。いま各国ではナショナリズムが強まっている。韓中日でのナショナリズムの高まりは、東アジア共同体づくりの妨げにならないだろうか。

 金徳吉 欧米の論調も「日本のナショナリズムは最近強くなった」とする記事が多い。韓国や中国のナショナリズムが高まっているのもその通りだ。歴史的にみるとナショナリズムは覇権主義に結びついてきた。そうでなくても政権維持、国内の引き締めに利用されてきた。小泉首相も盧武鉉政権もこの間、政治にナショナリズムを利用してはいないだろうか。古代国家高句麗の帰属をめぐる論争が韓中であり、学者や一般市民も巻き込んで現在も続いているが、ナショナリズムが共同体形成の阻害要因になるのは間違いない。

 金慶珠 日本や中国、韓国におけるナショナリズムの問題は、より慎重にその実態を見極める必要がある。それぞれの国において事情や背景は異なると思うが、詰る所、中国という新興勢力の台頭と、それに伴う各国の「アイデンティティーの模索過程」に要約できる現象ではないだろうか。

 アイデンティティーの概念は諸刃の剣で、排他的認識と共に形成される概念であるが、敢えて模索過程であると見るのは、これが必ずしも国家単位と一致していないからだ。

 東京大学の猪口氏の調査によれば、2003年に実施した民族意識を問う調査に、日本人の6割が自らを日本人として意識している半面、中国・韓国における同数値は8割に達している。一方、アジア人としてのアイデンティティーを問う設問には、日本の20%、中国の30%がイエスと答えた半面、韓国においては80%が肯定的回答を行っている。

 こうした調査を通じて見る限り、民族意識の強度が必ずしも共同体意識と相反しているとは解釈し難い側面がある。

 日本における歴史認識の問題にしても、95年には、当時の政権自ら村山談話を発表した経緯がある。振り子理論を適用するなら、今懸念されている右傾化も、東アジアにおける勢力構図の変動に伴う一時的現象である可能性が高い。昨今のナショナリズム現象に対しては、もう少し長期的な展望を持つべきだ。

 鹿取 既に述べたように、なぜ東アジア共同体を目指すのかといえば、この地域の安定と繁栄をより一層高めるためである。これはすべての関係国にとって利益をもたらすものであり、またそのようなものでなくては皆で協力しながら進めることはできない。

 これから息長く議論し協力を進める過程で、いろいろ意見の違いや困難も出てくるであろうが、より一層の安定と繁栄を目指すという共通の目的があればそのような困難を乗り越え、一歩一歩進んでいくものと思う。欧州の方がアジアに比べ多様性は少ないが、その欧州も、1957年のローマ条約締結後、多くの困難を克服しつつ進んできた。欧州がここまでくるのに約50年たっている。アジアも息の長い努力が必要であるし、協調、協力の精神が不可欠である。将来の共同体をも視野に入れた新しい環境で、各国ともナショナリズムの問題を新たに考えることは有意義と思う。

 司会 東アジア共同体の理想像はどうなるだろうか。各自のビジョンを聞きたい。

 深川 共通の差し迫った課題に取り組んでいくところから始まるだろう。例えば鳥インフルエンザの問題。アジアは衛生状態の悪い地域が多く、地方では保健・医療体制の整備も遅れており、全体に人口過密なだけに大感染の可能性がある。共同体の基本は他人に迷惑をかけないことだ。真剣に取り組まないといけない。

 また高齢化が社会に負担や変革を迫るのも、多くの国で共通する。日本、韓国の高齢化はすでに深刻になりつつある。

 ある意味、東アジア共同体づくりで一番困る存在は日本だ。日本は貿易システム、地震災害への対策など、さまざまな社会システムという点ではアジアの中で抜きんでている。これで外交がまともなら日本が主導的立場を取れるのに、そういう意志と努力を見せられないでいる。

 あれだけアジアで政治軋轢を引き起こせば、足元を見られるのは当たり前で、国連常任理事国問題も挫折。「言っていることとやっていることがバラバラ」ではリーダーシップはとれない。国は引っ越せないのだし、経済的にもアジアへの依存度はますます高まる。抜本的なアジア外交の立て直しは急務だ。

 鹿取 理想像をいますぐ描く必要はないと思う。繰り返しになるがまず協力出来る分野を具体的に進めていくことだと思う。そのように域内協力を進め、共通の価値観、民主主義のルール、WTOのルールを守って進むことが大切である。そのようなプロセスの中で一体感や仲間意識が強化されていく。

 金徳吉 国家でも企業でも、大きな目標、デザイン、ビジョンを立ててから詳細なディテールを検討する方法と、その逆にディテールを下から組み立てて目標に迫る方法がある。ビジョンを先に立てる場合、大きければ大きいほどいい。

 ディテールから進める場合だが、昨年、釜山でAPECの会議が行われた。相対的に価値の低くなっている会議ではあっても、開催地の釜山は大変盛り上がったし、市民は今後の経済活性化への期待も持った。釜山が故郷である在日同胞も喜んだ。そういう効果もある。
 
 今回の東アジアサミットの議長国はマレーシアだったが、それはマレーシアに大きなチャンスを与えた。インドが議長国になる時は、インドの国内改革につながる。

 金慶珠 ビジョンでいえば、現在の理想像は共同市場、共同通貨だろう。共通関税、共通憲法などの制度的なものはずっと先になると思う。数十年後には制度的な問題も議題になるかもしれないが、まずは機能的な統合を果たし、それぞれの国が豊かになったころ、制度を話し合うのがいいのでは。共通言語になると、これはアイデンティティーの問題にもなるし、アジアの多様性から考えて難しい。

 ン余 共同体は共同通貨をつくらないと意味がない。対外的に国家権力は通貨をもって集約されるからだ。「東アジア共同体」の成否は、端的にいって共通通貨の誕生にかかっているといってよいだろう。米国は本当はEUを認知したくはなかったと思う。

 東アジア共同体も米国がどう見ているか、また日本の為政者でアジアに留学した人が何人いるだろうか。そういうネガティブな面も見落としてはいけないと思う。

 金徳吉 明治維新後、アジアは欧米を意識してのアジアだった。アジアが自ら自立したアジアを語るのは最近になってからだ。いい時代になったと思う。東アジア人はいい命題だ。
 私が専門とする通信事業の分野でいえば、これまで欧米系に支配されてきたが、この域内で新しい世界標準のソフト・ハードのスタンダードをつくるなどの事業も出来ればと思う。

 金慶珠 繰り返すが、東アジア共同体の現段階における理想像は、共同関税の設定等を通じた市場の機能的統合だろう。共同憲法や安全保障などの制度的統合は、現段階では容易でない。
 
 まずは、実利を効果的に共有する市場の機能的統合を果たし、この地域における一定の経済的格差が縮小された段階で、その他の制度的統合の必要性を検討するのが現実的だ。

 そうした意味では、今アジアに浮上している中産階級の役割に期待したい。中産階級といえば、韓国の大衆文化・消費文化の担い手であると同時に、国家や民族に関わりなく同様のライフスタイルを共有するのが特徴だ。こうした階層は、韓国はもちろんのこと、すでに中国の一部、東南アジアにおいても着実に形成されている。

 日本のアニメやゲームがアジア諸国で受け入れられている背景には、日本文化の無国籍化・無臭化があると指摘されているが、日本における韓流ブームの背景にも無臭化された中産階級文化としての韓国大衆文化の威力を指摘することができるだろう。

 中国も10年後にはGDP5000㌦を目標に、中産階級の拡大を目指している。こうした中産階級の形成は、同地域における行動文化のみならず、価値観や認識面での共通基盤の形成にも必然的に繋がっていくものと思われる。そうした変化に、現在の同床異夢を同床同夢に変えていく原動力を期待したい。

 鹿取 日本の貢献についてだが、ASEANに対する統合支援や鳥インフルエンザ対策への支援を表明した。そういうことは今後もやっていくべきだ。ものの考え方等ソフトの面でも、引き続きアジアの人々の期待に応えなくてはいけない。

 アイデンティティーはどこの国にとっても大切だ。しかし、排他性、内向性をもったナショナリズムは排除していかなくてはならない。アイデンティティーを保ちながらも他者を受け入れる開放性や他者への寛容性を維持していくことが重要だ。
 アジアは多様性を持つゆえに、他の価値観への理解が大切だ。アジアでは多様なものを受け入れる寛容性と能力をお互いに高めていかないといけない。東アジア人になるには寛容性と他者に対する理解が大切だ。それを持ちたい。

ン余  歴史的に見ると、東アジア共同体には3つの課題が残されている。第1は植民地性からの脱皮だ。日本は対アジア関係においては、まだ植民地的優越性を感覚的に潜んで持っている。中国は反日デモにも見受けられるように植民地遺制から脱却してない。韓国もまた例外ではない。東南アジアの華人社会もそれを引きずっている。

 第2は冷戦。戦後半世紀以上、アジアは米国中心の冷戦体制の一環に組み込まれた。そこから脱出していない。日米安保はその象徴的存在である。

日本、韓国、台湾を結ぶ中国封じ込めは生きている。だから改革・開放と叫んでも、太平洋路線は自由往来のルートになっていない。中国が台湾との統一を望むのは、それを打破したい意図の表れでもあろう。米国は決してそれを安易に認めようとしないだろう。
中国はそのためミャンマーとハイウェーで結ぼうとしている。ミャンマーは戦略的に大切な位置にあり、それゆえ中国は軍事政権をサポートしている。

 第3に自主性の確立である。外資導入はこの自主性の確立と相容れない一面を有する。アジアは輸出を通して外国市場に依存し、そのため自国の景気は輸出市場に左右されてきた。それを解決しない限り東アジア共同体はあまり意味がなく、多分、うわべの実現に終わるだろう。


◆東アジアサミット◆
 2005年12月14日、クアラルンプールでASEAN10カ国と韓日中、インド、豪州、ニュージーランドの計16カ国首脳が参加して開催。

 共同宣言は①東アジア共同体の形成で「重要な役割」②政治・安保、経済、社会・文化の3分野で協力③毎年、ASEAN首脳会議に合わせて開催される。
ASEANプラス32005年12月12日、ASEAN10カ国と韓日中の計13カ国首脳が参加して開催。

 共同宣言は①東アジア共同体を達成するための「主要な手段」②ASEANの統合、東アジアの人的交流の強化をめざす③ASEAN首脳会議に合わせて毎年開催。


  ト・ツァウエン 1936年台湾雲林県生まれ。61年渡日、国立台湾大學法学部商学系卒業、東京大学大学院経済学研究科博士課程満期退学、名古屋大学教授等を経て2000年から国学院大學経済学部教授。『日本帝国主義下の台湾』など著書多数。

  かとり・よしのり 1950年東京生まれ。73年入省、在ドイツ日本大使館2等書記官・参事官、在マレーシア日本大使館1等書記官、外務省報道課長、在ミュンヘン日本総領事などを経て、2000年3月から2年半、在韓国日本大使館公使。2004年8月領事局長。2005年8月から外務報道官。

  キム・ドギル 1946年大阪生まれ。同志社大学法学部中退、ソウル大学工学部中退。現在エイアイエス㈱取締役会長、エニーユーザー㈱取締役会長、㈱コリアンITネットワーク会長、関西経済同友会アジア経済戦略委員会副委員長、関西経済連合会会員。

  ふかがわ・ゆきこ 1958年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。米イエール大学大学院(修士課程)・早稲田大学大学院(博士課程)修了。日本貿易振興会(JETRO)海外調査部、㈱長銀総合研究所主任研究員、青山学院大学経済学部助教授を経て、現在東京大学大学院総合文化研究科・教養学部教授。

  キム・キョンジュ 1967年ソウル生まれ。梨花女子大学校・社会学科卒。東京大学大学院・総合文化研究科言語情報科学専攻(文学博士)。現在東海大学助教授(同文明研究所研究員)。専門は異文化コミュニケーション論、韓日対照言語学(談話分析)。